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エンジニアと疑似科学 (後編)

エンジニアと疑似科学 (前編) では幾つかの疑似科学とそれを受け入れてしまったエンジニアの事例を紹介しました。 私たちが暮らすこの社会の科学リテラシーの低下は、実に嘆かわしい......かどうかはさておき、読者諸兄の中には、次のような疑問を持っている方もいらっしゃるかも知れません。

何故、エンジニア (技術者) だけを殊更に問題視するのか? エンジニアであろうと一般人 (非技術者) であろうと、自分が真実であると思うもの (たとえそれが疑似科学とされるものであっても) を信じる権利は等しく保障されるべきではないのか?

確かに、エンジニアであろうとも、何を信じるかは個人の自由。 それによって法的に罰されることはありませんし、また、そんなことがあってはいけません。 しかしその一方で、科学・工学の知見と合致しないものをその対象として選ぶということは、エンジニアとしての資質を決定的決に欠くことの証左でもあります。

コンピュータ技術者は例外的に免許制度のない分野ですが、医師や各種技師をはじめとする技術職は、その職務を遂行するにあたって国家ないしそれに殉ずる機関による認可が必要であることが一般的。 これは、エンジニアとは程度の差こそあれ、人間の生命・財産に関わる作業・操作を行う職業であるため、当座の業務遂行のための知識・技術のみならず、その技術と社会の関わりについての認識、マニュアル化しきれない瑣末な事案や突発的な事象に対応するための考え方を身に付けることが求められるからです。

疑似科学やオカルトの理論は、科学・工学の知見とは決して相容れない性質のもの。 何故ならば、科学的に証明されていないことを証明したと主張するのが疑似科学の疑似科学たる所以であり、科学的に不可能であるとされることをやってのけると主張するのがオカルトのオカルトたる所以だからです。 これを受け入れているということは、少なくとも両者が説くところが食い違う部分では、科学の知見の方を否定しているということに他なりません。 そのうちのどれか一つ、殊に科学・工学の基礎となっているような根本的な知見を否定する者はいずれ、そこから論理的に繋がる知見の連なり・積み重ねから成り立っている科学という枠組みへの信頼を全面的に放棄せざるを得なくなる、というのは当然の帰結です。

前編で紹介した血液型性格判断やモーツァルト効果、ガイア理論といった疑似科学・オカルトは、それを信じてしまっても差し迫った問題を招くことのないものでした。 しかし、それらを受け入れることは懐疑的な思考を鈍らせ、より危険な理論への抵抗力を失わせるでしょう。 この後編では、科学に背を向けたエンジニアが如何に危険な存在であるか、それによって支えられる社会がどれほど脆いものかということについて考えてみたいと思います。

ダウジング

近年、あらゆる国の政府、軍隊、警察にとって、世界各地で繰り返されているテロ事件への対応は焦眉の課題となっています。 ところが、差し迫った危機に晒されている複数の国が、テロ対策の一環である爆発物の探知をダウジングに頼っていると言ったら、皆さんは驚かれるでしょうか。

爆発物探知機として、だうじんぐマシンAD651を製造販売した Jim McCormick (57) が、英国で2013年4月に有罪評決を受け、2013年5月に懲役10年の判決を受けた。 これに続いて、同様の "だうじんぐマシン" GT200を販売していた Gary Bolton (47) も、英国で2013年7月に有罪評決を受け、2013年9月に懲役7年の判決を受けた。

しかし、これでケースとアンテナだけの "だうじんぐマシン" の問題が終わるわけではない。 まだ、HEDD1やALPHA6という同類がある。 そして、イラク治安部隊は今後も、だうじんぐマシンAD651を使い続けるようである。

そして、レバノンでも、だうじんぐマシンは使われている。

先月のベイルートやトリポリと同様の爆発物による攻撃を防止しようとして、レバノン全土で、警備が強化されている。 しかし、企業は、かなり前から「役に立たない」と言われてきた爆発物検知器を今も使っている。

新学期の開始とともに爆発物や銃器の持ち込みをゲートで検査するのに、探知犬とともに "だうじんぐマシン" が使われているという報道。 これを行っているのは Falcon Group International の警備サービスであり、当該サイトにある、それらしい記述は...

"hand held" な "metal and explosive material detectors"と あり、これが "だうじんぐマシン" ぽい。

まるでコメディのような話ですが、もし自分がこれらの国に住んでおり、家族や友人が働くビルの警備がこのインチキ装置で行われていたとしたらと想像するならば、笑ってばかりもいられません。 多数の市民の安全が懸かっている爆発物探知にダウジングのごとき占いに等しい手法を採用するというのは、人命を守るつもりなどないと公言しているのも同然の行いです。

ところが、このダウジングでさえも「一笑に付すわけにはいかない」と考える技術者は皆無ではありません。 (上の記事の中で言及されている警備会社 Falcon Group International の職員も、一種の「技術者」であることをお忘れなく。) 以下に引くのは小説の一場面ですが、ダウジング肯定派の主張が良くまとまっています。

ガダラの豚 (III)

「だって、金属の棒と、鉱脈が何かその、磁気的反応みたいなことをしてまわるのならわかるけど。なんで木の棒と水が反応するのさ」
「反応してるのは物じゃない。人間なんだ」
「人間が?」
「ここからがややこしいからさ、さっきミラクルのおっさんがいるところではこの話、したくなかったんだ。あいつは、現にあることでも理屈つけて認めようとしない。素直じゃないよな」
「現にあることって?」
「たとえば水道局は、地下にある昔の水道管なんかを探すのにダウジングを使ってる」
「ほんとに?」
「そのほうが確率がいいからさ。理屈はあとからついてくりゃいいんだ。てっとり早い話が戦争だな」
「戦争?」
ベトナム戦争のときにはルイス・マタシアっていうダウザー。ダウジングのプロだな。この人は民間人なんだけど前線に呼ばれて、地雷の探知でびっくりするような成績をあげてる」
「地雷の前にくるとダウジング・ロッドが反応するんだ」
「それだけじゃない。たとえば地図の上で振り子を使ってダウジングする。それで敵の弾薬集積場や軍事施設の所在を当てたりした」
「地図で? なんでそんなことができるの」
「なぜだか、そんなことおれは知りゃしないさ。理屈のほうは学者さんが解明してくれればいいことでね。とにかく、人間は何千年も前からダウジングをやって生き延びてきてるんだ。なぜもへちまもない」

「とにかくな、ダウジングが当たるのは厳然たる事実だ。デュポンとかRCAカンパニーみたいな大企業だって土地の調査にダウザーを雇ってる。軍部や企業が採用するってことは、それが事実だからさ。連中には、学者みたいな理屈はいらない。効率が最優先だからな」
「でも、どうして当たるんだろう?」
「放射感知理論ってのがいままで優勢だったけどな。それじゃ、なんで木のダウジング・ロッドでも金属のでも当たるのか、ましてや地図使って当たるのなんか説明がつかない」
「いまでは、人間の右脳に関係あるんじゃないかって言われてる」
「右脳に?」
「人間の右脳ってのは、ほぼ万能の直感力とか察知力を持ってる。普段の意識レベルでは左脳がこれをセーブしてるんだ。思考が混乱するからな」

要点をまとめると、次のような具合になるでしょうか。

  1. ダウジングが当たることは厳然たる事実である。
  2. 従ってこれを用いるにあたっては、その作用メカニズムの解明は不要である。
  3. 人間の「直感力」を利用する手法なので、メカニズムの説明は物理法則に合致する必要はない。

このうち、2. および 3. については私もとりあえず同意するところ。 ただしそれは、「1. の主張が正しいのであれば」という前提条件をつけての話です。 ダウジングが当たるのが「厳然たる事実」だと言うのであれば、それは客観的な方法で明確に示すことができるはず。 なお、これまでに的中させた事例のエピソードを幾ら集めたところで、それは何の証拠にもなりません。 ダウジングが当たるかどうかを判断するのに必要となる以下のデータが示されていないからです。

  • 試行 (トライアル) の回数と、そのうちの的中および外れの数
  • ダウジング以外の手法との的中率の比較
  • 的中/はずれの判定方
  • 実施時の各種条件 (ダウザーが「正解」に関する情報を事前に得られないようになっているか等)

というわけで、"だうじんぐマシン" を導入してしまった国のひとつであるタイの政府により、その有効性を検証するための実験が行われました。

タイ政府は "だうじんぐマシン" GT200の有効性を検証するための試験を2010年2月14日に実施した。 方法は、本物爆発物1個とデコイ4個を隠して、"だうじんぐマシン" で探し出すというもの:

試験は (2010年2月14日) の朝に、Pathum Thani にある Thailand Science Park 内の Sirindhorn Science Home で始められた。 5回がトラブルもなく昼間でに実行され、委員会の要請にしたがって、続けて合計20回が夜までに行われた。 試験委員会は、あらかじめ定められた条件と仕様に従がった試験を監督する。 ひとつのチームが爆発物を4個のデコイとともに隠し、もうひとつのチームがGT200を使って爆発物を探し出す。 爆発物探索チームは陸海空軍の軍需部門担当者30名から構成された。

20回の試験で45回正解なら、ただのランダム。
で、結果はというと...

「GT200爆弾探知器が実地試験で効果がないとわかった。今後、この装置を調達することはない」と Abhisit Vejjajiva 首相が火曜日 (2010/02/16) に述べた。 これを、Abhisit 首相は、陸軍司令官 Anupong Paojinda 将軍も参加した記者会見で述べた。

「科学技術省の委員会による実地試験でGT200は20回の試験でわずか4回しか、正しく爆弾を見つけられなかった。GT200は他の装置がないと、使えないものだ。GT200を使うリスクを冒さないように、この否定的な結果を英国製GT200を使用している部署すべてに通達する。」と Abhisit 首相は述べた。

大半の実働部隊はこの装置への信頼を表明していた。

さらに、Abhisit 首相は「GT200に替わって使えるものはない。探知犬は今や最善かつ最も信頼できる爆発物探知手段である。既に調達した数百台のGT200の処置をどうするか決めていない。」と述べた。

20回中4回正解という綺麗過ぎる結果。 まったくのランダムで、何の役にも立たないことがデモンストレーションされている。

これにより軍は爆発物探知機の調達にあたっては、National Electronics and Computer Technology Centre に相談することが義務付けられることになった。

「理屈がどうであれ、結果が出ればそれで良い」というのは、実務において大変合理的な姿勢であると評価できますが、そもそもの出発点である「結果が出ている」という認識に誤りがあれば何の意味もありません。 それどころか、その確信故の頑なさは有害・危険ですらあります。

漢方

エンジニアには生物学の分野では懐疑精神を発揮できなくなる傾向が見られるというのは前編で述べた通り。 その延長線上にある問題として、医学医療の分野においても、明らかにおかしな理論を掲げる代替医療ニセ医療に対して、意外なほど親和的・好意的な態度を取る者が少なくありません。 この問題について、日本では健康保険の適用対象であり、エンジニアにも支持者が多く見られる漢方を例に考えてみたいと思います。

その前にまず、漢方が医療として有効か否かということについて述べておくと、その程度はともかくとして、間違いなく効果があるだろう、というのが個人的な評価。 漢方で処方される薬 (漢方薬) には (ホメオパシーが提供する有効成分を1分子たりとも含まないスクロース錠剤である「レメディ」などとは異なり) 生理作用を持つ成分が含まれているため、それに何らかの特異的な薬効があることを疑う余地はありません。 従って、その治療が自身の症状・体質に合っているのであれば、これを利用することは理に適っており、少なくとも不合理な選択だとは言えないものでしょう。

その一方で、私は漢方を実践している医師や企業に対して、専門の知識・技術を駆使する者、即ち広義の「エンジニア」としての信用をあまり置いていません。 その理由のひとつが、傷寒論といった客観性を欠く概念、下手をすれば陰陽五行説が未だに論じられていること。

陰陽は古代中国の自然哲学です。自然を二元論で観察すると、天と地、山と海、日なたと日かげ、昼と夜、男と女、寒と熱などのように二つの相対する事象があり、しかもそれらがバランスよく調和しています。

漢方においては、人のカラダの中でもこの陰陽のバランスが整っている状態が健康であり、それが乱れると病気になるという発想があります。 日常生活でも「あの人は暗い」とか「私の性格は明るいだけが取り柄」という言葉を耳にすることはないでしょうか。 漢方でも同様に病人を陰と陽の2群に分ける考え方があり、陽の要素の強いものを陽証、陰の要素の強いものを陰証と呼びます。

漢方では、患者さまの個人差を重視した治療を行います。 病名が同じでも、体質や体型、抵抗力、自覚症状などは人によって異なり、そのちがいを「証」というものさしで判断します。

診療では、西洋医学的治療だけでなく、患者さま一人ひとりの体質や病気の状態を見きわめながら、多角的に判断して最適な漢方薬を使い分けていきます。

正直なところ、これらの文章やイラストを見ると「それ本気で言ってるんですか?」と思わずにはいられません。 仮に、現代の標準医療を行う医師が、患者に対して四体液説の説明を始めたらとしたら、どう思われるでしょうか。 (私なら、直ちに診察室を後にして二度と戻ってこないところです。) 医学・医療に限らず、科学・技術というものは研究 (観察, 仮説, 検証) を通じて、知識のアップデートを積み重ねることで発展してきました。 現在の医学者・医師が四体液説や生気論ではなく、細胞, 細菌, ウイルス, 免疫といった新しい、より確かな知見に基いて説明を行い、治療を施すのもそのためです。 翻って、19世紀以前ならばいざ知らず、現代において「寒と熱」「海と山」といった類感呪術的見立てで医学・医療を語る漢方は、そうした知識のアップデートを放棄したと受け止められても仕方がないでしょう。 伝統に依存し、先人が打ち立てた理論の上に留まり続けるのを善しとするのであれば、それはもはや学問でも技術でもなく、出来の悪い伝統芸能です。

しかしながら、私が漢方を信用しない最も大きな理由は理論の古さよりもむしろ、エビデンスを軽視するその姿勢にあります。 以下に引用するのは、漢方と「西洋医学」の融合を提唱する医師のセミナーですが、漢方の在り方についての主張は他の多くの実践者とおおむね共通しています。

漢方はエビデンスが希薄です。 漢方は人により効く人と効かない人がいるから、全員集めて、飲んだ群、飲まない群を決めて試験をやるのは、あまり向かない。 大建中湯など向くものもありますので、エビデンスが出せる領域ではやはり出した方がいい。

漢方は、この人にはこれ、この人にはこっち、あなたはこれという「テーラーメード医療」なんです。 全員にこれというのではない。 テーラーメードをサイエンティフィックに表現できれば、漢方のRCT (無作為化比較試験) ができるようになるかもしれない。

RCTでは1個エンドポイントを決める。 医者も患者も分からない偽薬と実薬を飲んでもらい、最後にオープンします。それで差が出たというのが西洋薬です。 でも漢方って、エンドポイントがたくさんある。 だから臨床試験に向かない。

あと、漢方は色々な処方でカバーする。 これがダメでも次がある。 だから、あまりRCTというのは漢方には向かないなと思っています。 だって魅力は「足し算」なんだから。 僕が経験したように、体の中の色々なものが良くなる可能性がある。 それが漢方です。

エビデンスはいらないです。 効くことが大事。 使っているものは安く、そこそこ効く。 そして目の前が困っている。 だから、僕はそんなにエビデンス、エビデンスと言う必要はないと思っています。 僕らは患者さんを治したいのです。喜んでもらいたい。

人によって細部の表現は異なりますが、共通する主張をまとめると次のようになるでしょうか。

  1. 東洋医学 (漢方) は、患者一人ひとりの症状に合わせて治療の仕方を変える。 (⇔ 西洋医学は症状・検査結果だけに着目して画一的な治療をする)
  2. だから、ランダム化比較試験 (RCT) ではその効果を判定することはできない。(あるいは判定することが難しい。)
  3. エビデンスなどなくても、実際に効くのだからそれで良い。

少なくとも私の経験に照らす限り、1. の主張は明らかに間違い。 現在の標準医療においては、治療方針が疾患に与えられる診断名のみに基づいて決定されることはありません。 年齢, 性別, 体重, 生活習慣, 職業, これまでの治療の経過その他諸々の条件に応じて、薬の種類・投与量は異なりますし、食餌や運動についての指導内容も変わってきます。 そして臨床データからそのばらつきを考慮した上で、エビデンスの有無あるいはその程度を判定してするわけです。 であれば、漢方も同じようにエビデンスを出すことができると思えるところなのですが、それは何故かできないと言う。 これらの事情を勘案すると、2. の主張はエビデンスを出さない (出せない) ことの「言い訳」に過ぎないのでは、という疑念を抱かざるを得ません。

3. は前節で紹介したダウジングの「原理は不明でも、当たることは事実」と構造的に同じ主張ですが、エビデンスがないのであれば、彼らは果たして何を以て「確かに効く」と言っているのでしょうか。 「体質は一人一人異なるのだから薬の効き具合はデータ化できない」が正しいとするならば、例えこれまでに何百何千人の患者を手掛けてきたとしても、次の一人の患者に対する治療方針を決めるために手掛かりにできるものは何もないことになります。 すべてが未知であり、一人一人の患者についてゼロから知見を積み上げていく必要があると説く「医学」。 そんなものは何の役にも立ちはしません。

エビデンスの軽視はまた、医療の無責任化にも繋がります。 症状の経過が思わしくない場合に、施された治療の妥当性を検証しようにも判断基準となるものがない。 そんな状況では、「症状が改善したら治療の成果」「悪化したら運が悪かった」というような悪質なインチキ治療師の主張を崩すこともできなくなってしまいます。 実際、漢方を始めとする東洋医学・代替医療においては、副作用や治療の失敗による症状の悪化を「好転反応」や「瞑眩 (めんげん/めんけん)」なる回復過程のひとつであるとする欺瞞的な説明が治療方針の適切な修正・変更を妨げ、致命的な健康被害を招いた例もしばしば報じられています。

では、漢方 (の業界) がエビデンスの重要性を理解し、ランダム化比較試験 (RCT) 等の客観性の高い臨床試験を実施すれば万事めでたし、となるのかと言うと、問題はそう単純ではありません。 というのも、ある治療法の有効性がエビデンス付きで証明されたならば、それが例え代替医療から出発したものであっても、標準医療が容赦なく取り込みにかかるからです。

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1970年頃の中国の田園地方では、さまざまな癌に対して、伝統的な漢方薬が使用されていた。 他に治療法がなかったからである。 癌霊1号も漢方薬であるが、経口投与では重篤な消化管および肝障害の副作用があった。 毒性の強いヒ素 (亜ヒ酸) を含んでいたのだ。 ヒ素は、毒性が強いというか毒薬として使用されていた物質である。さて、ここからがすごい。 副作用を軽減するために精製して注射剤とした上で、1000人を超えるさまざまな癌の患者に対して臨床試験を行ったのだ。 その結果、いくつかの癌、とくにAPL (急性前骨髄球性白血病) という種類の白血病が、亜ヒ酸による治療のよい対象になりそうなことが判明した。

癌霊1号の話から得られる教訓はいくつかある。 その一つは、漢方薬だろうとヒ素だろうと、効果が証明されれば標準医療に取り入れられるという点だ。 代替医療に好意的な人たちはしばしば、「たとえ効果があっても、西洋医学以外の医療は否定されてしまう」と主張する。 彼らの好む医療が採用されないのは、効果がないからではなく、「西洋医学以外の医療はダメだ」というイデオロギー的な理由によるのだと、そう言いたいらしい。

だが、「癌霊1号」という怪しげな漢方薬が出自であっても、検証され、効果が確認されたら標準医療に採用されたではないか。 一方、ホメオパシーは西洋由来だが採用されていない。 効果がないからだ。 150年前の西洋医学ではどんな病気にも瀉血療法や水銀療法がなされていたが、現在の標準医療には採用されていない。 効果がないからだ。 標準医療の採用基準がイデオロギー的だ、というのは、ある意味その通り。 しかし、そのイデオロギーは、代替医療に好意的な人たちが想定してるものと異なる。 標準医療のイデオロギーは「効果のあるものは採用」である。

逆 (厳密には対偶) を言えば、標準医療に採用されていないということは「エビデンスが十分でない」ということ。 そのため、代替医療というのはどれも宿命的にエビデンスが不十分な治療法の体系にならざるを得ないわけです。

ただし、その「不十分」さにも、ゼロに限りなく近いものから、十分に可能性のあるものまで様々。 そうした代替医療の中では、漢方は最も大きな実効と発展の見込みのあるもののひとつであることは間違いのないところでしょう。

日本では漢方と並んで人気の高い東洋医学であるですが、この治療法の信頼性は漢方と比較しても格段に劣ります。 経絡, 経穴, といった実証性に乏しい理論に依拠しているのは漢方と同様。 そしてまた、何よりも大きくその信頼性を損ねているのはやはり、実践者たちのエビデンス軽視の姿勢です。

2010年に出版された『代替医療のトリック』では、鍼の効果を確かめるために、「刺さらない」ニセモノの鍼を使った実験とその結果が紹介されています。

代替医療のトリック: 第II章 鍼の真実

臨床試験の質を向上させるためにエルンストがなした最大の貢献は、経穴をはずして鍼を打ったり、浅く鍼を打ったりするより優れた偽鍼を開発したことである。 67ページの写真を見てもらえばわかるように、鍼はたいへん細く、鍼治療師は少し太くなった上部を手で持つ。 そこでエルンストとその共同研究者たちは、伸縮式の鍼を提案した。 ちょうど芝居で用いる小道具の短剣のように、その鍼は皮膚に突き刺さるように見えて、実は、上部の太くなった部分に引っ込むのである。

エルンストのグループのメンバーである韓国人の朴金培(パク・ジョンベ)博士は、伸縮鍼の改良型を提案していくつもの困難を克服した。 たとえば、普通の鍼は皮膚に刺さったままその場に立っているが、伸縮式の鍼は皮膚に刺さるように見せかけているだけなので、その場に立たせておくことはできない。 この問題を解決するためには、鍼を正しい位置に打ちやすくするために鍼治療師がしばしば用いるプラスチック製の鍼管を利用すればよい。 普通は鍼を刺したあとで鍼管は取り除かれるが、パクは、鍼管の一端を粘着性にして皮膚にくっつけ、鍼を支えるという方法を提案した。 また彼は、鍼がそれ自身の内部に引っ込むときに、皮膚に軽く刺激を与えるように伸縮鍼を設計した。 こうすると、皮膚に軽い痛みがあるため、患者に普通の鍼が打たれているかのように思わせることができる。

エクセター大学の研究グループがこの伸縮鍼を使ってプラセボ鍼治療を行ったところ、患者は本物の鍼を打たれているものと思い込んだ。 患者は、長い鍼を見て、皮膚に軽い衝撃を覚え、鍼が皮膚に突き刺さっているのを目にし、皮膚のその部分にかすかな痛みを感じ、数分ほど鍼を放置され、その後取り除かれるという経験をする。 皮膚に浅く打つ鍼も、経穴をはずして打つ鍼も、十分に偽鍼とみなせるが、理想を言えば、鍼は実際に皮膚に突き刺さるべきではない。 その点において、伸縮鍼の方が優れた偽鍼といえる。

初期の結論は、鍼治療師にとってはおおむね残念なものだった。 慢性的な緊張性頭痛、化学療法による吐き気、手術後の吐き気、偏頭痛の予防などの治療について、本物の鍼のほうが、偽鍼よりも効果があるという説得力のある根拠はただのひとつも得られなかった。

『代替医療のトリック』/ 著: サイモン・シン & エツァート・エルンスト, 訳: 青木 薫

同書は日本のみならず世界でもかなり大きな話題を呼んだため、当然予想されたことながら、その中で「効果が疑わしい」と評価された代替医療の業界から強い反発を受けました。 鍼灸の業界団体からも以下のような反論が提出されています。

4. シャム鍼や最小鍼の生理学的作用について

真の鍼とシャム鍼との効果の比較において両者に差がないために、鍼に特異的な効果はなくプラセボに過ぎないというのが、本書における一貫した論調である。 ここで著者らがプラセボ鍼とみなしているものは、ドイツの大規模臨床試験で用いられた最小鍼とよばれる、浅い鍼を非経穴部に得気が生じないような方法で刺激することや、鍼を刺入しないで皮膚に刺激を与える方法である。 それらの手法を生理学的に無効なものとみなしているのである。

しかし、神経生理学的な視点からみると、仮に浅い鍼であってもさまざまな侵害受容器が興奮していることは明らかである。 一方、皮膚に鍼を刺さない場合でも、皮膚の受容器の一つであるポリモーダル受容器が興奮することが証明されている。 このポリモーダル受容器は、鍼刺激や灸刺激によって興奮する受容器であり、圧痛点の成因になるものとして知られているものである。 プラセボ鍼という以上は、その鍼の生理的無効性 (非活性) が検証されるべきである。 しかし、現時点で用いられているプラセボ鍼は、いずれも生理活性が証明されている以上、彼らの出すべき結論は、鍼の特異的効果を調べるための適切なプラセボ鍼はないので、これまでの臨床試験が示していることは、鍼の異なる手技 (中国式の得気を生じる強い刺激鍼と日本式の浅い鍼もしくは非刺入式の鍼) の両者の効果に差は見られないが、標準化された現代医学的治療よりも効果が高いというエビデンスがあるとするべきであろう。

刺さずに皮膚を軽く叩いて刺激するのは、鍼灸術で「梅花鍼 (ばいかしん)」と呼ばれる治療法に該当するので、この偽針を使った実験は鍼の効果を評価するものとしては不当である、という鍼灸師も少なくありません。

しかし、これらの反論は随分と的を外しているように私には思えます。 何故なら、この実験における伸縮式の偽鍼は「無治療群」としてではなく皮下に刺し込む所謂「普通の鍼」と対比しての「刺さない鍼」として用いられているからです。 普通の鍼と偽の鍼の治療効果に差が見られないという結果が投げかけているものは、平たく言えば、

刺しても刺さなくても効き目が同じなら、なんでわざわざ刺すのさ?

という疑問に他なりません。

外科医が他人様の身体を切り裂いても咎められないのはひとえに、それが疾病を治すための最善の手法であると認められる行為だからであり、そこから外れてメスを振るえばそれは傷害。 同様に、治療効果に差がない (あったとしても、目隠しをすると検出できないほど小さい) にも関わらず、神経や血管などの組織を傷付ける危険のある、より侵襲性の高い手法を採用するのであれば、その理由について相応の説明が必要となるでしょう。

ウイルスなどの伝染を媒介してしまうリスクを回避するという点においても、「刺さない鍼」の採用は理に適った選択だと考えられます。

パトリック・ウー教授と彼の共著者らは、英国医師会雑誌 (British Medical Journal) にて、この中国の伝統的医療によって1970年以降、世界で80人以上の患者がB型肝炎に感染していると指摘した。 また、彼らはこの数字がおそらく氷山の一角であり、C型肝炎HIVを含む他の感染症も同様に広がっているだろうと警告している。

この問題の一部は、鍼をアルコール溶液中に保存する中国の伝統に起因するものである。 アルコール消毒は一部のウイルスに対しては十分な防御力を発揮しない。

鍼治療は、体内の特定のポイントで鍼を操作することが、中国人が気と呼ぶ体のエネルギーの流れを促進するという理論に基づいている。 鍼治療の最中には、針は皮膚の表面下数センチメートルまで挿入される。

全ての鍼治療家は使い捨ての鍼を使用すべきであると専門家は警告している。 鍼治療によって広がる最も一般的な感染症は、細菌感染症である。 大部分の患者が容易に回復する一方で、5~10%の患者が深刻な症状 (関節破壊, 多臓器不全, 人食いバクテリアの感染, 麻痺) を引き起こす可能性がある。

実際、日本では「刺さない鍼」のみを施す鍼治療師も少なくありません。 それはまだごく一部の様子 (わざわざ「刺さない鍼」と言う必要のあることが、一般的にはまだ鍼が「刺すもの」であるという状況を表している) ですが、エビデンスの必要性を認めない業界団体や治療家は遠からず淘汰されていくことでしょう。 そして、鍼の効能 (現時点でも無治療群と比較して何らかの効果があることは示唆されている) が十分な根拠とともに示されたとき、それは代替医療であることをやめ、標準医療の一部として統合されるのかも知れません。

エンジニアの責任

このエントリの冒頭において、エンジニアには、科学・技術を職能として実践する者として求められる責任があると書きましたが、それを突き詰めていくと、最終的には「人間としての信用」に帰着されるように思います。 「人間としての信用」とは結局のところ、ある人物が差し迫った判断を迫られたときに、同じ立場に置かれたら自分が取るであろう (取るべきであると考える) 行動を選択することを、あるいは、自分なら絶対に取らない (取ってはならないと信ずる) 行動を選択しないことについての確信ないし期待ではないでしょうか。 この言い方では少々分かりづらいので、ひとつ具体的な例を挙げると、

同行者が突然意識を失って倒れたときに、「知ーらない」と逃げ出したり、「魔法の呪文」でなんとかしようとするのではなく、ちゃんと救急車を呼んでくれるだろうと思える相手でなければ、まだ幼い自分の息子/娘を預けることはできないでしょう?

ということ。 そして、エンジニアの仕事はその類の「信用」が常に要求される領域のひとつです。

たとえばですね、飛行機のエンジニアが如何に機体整備の手順をちゃんと習得しているとしても、「飛行機が飛ぶ原理は魔法だ」とガチで信じていたら、そんなエンジニアの整備した飛行機に、あなた乗れますか?

この場合、整備手順をキチンと習得しているかどうかと謂うのはそんなに大きな違いではない。 肝心なことは、このエンジニアは飛行機が魔法で飛んでいると確信しているのであるから、航空力学をまったく信用していないわけで、どちらも信じていると謂うことは普通の人間の思考法ならあり得ない、と謂うことである。

魔法と航空力学は原理的に相互排除的な関係にあるからであり、しかもこのエンジニアが確信している魔法には客観的な根拠が担保されていない、つまり、妥当性や確実性をシビアに要求される職域において「間違ったほうを選択している」わけで、そこが本質的な問題である。

相互排除的な関係にある二つの原理原則のうち「間違ったほう」を選択した者は、如何に常日頃形骸的に「間違っていないほう」の手順を護っていても、独自判断を迫られる場面ではいつか必ず「間違ったほう」に基づいた行動を選択する、これは当然である。

おそらくこのエンジニアは、独自判断を迫られるようなギリギリの場面では、航空力学の知見ではなく魔法のポーションに頼るだろう。 そして、彼が何時如何なる場面でそのような判断を下すかは本人にしかわからない、そのような深刻な不確実性を具えているから信用出来ないわけである。

整備マニュアルが指示する手順はすべてその通りに履行したし、掲載されてるチェック項目もすべてクリアしている。 そんな状況下で、もしもこのエンジニアが「どうもこのビスの締まり具合が悪い気がする」という漠然とした違和感を覚えたとしたら。 我々が彼 (/彼女) に期待するのは、別の (できれば新品の) ネジと交換してみて違いがあるか、該当箇所に加わっている負荷を測定して異常がないかを確認することでしょう。 しかし彼 (/彼女) が「魔法のポーション」を信じるエンジニアであれば、

「念のために、この『月の波動を転写した布』で擦っておこう。」
(キュッ! キュッ!)
「......まぁ、これで大丈夫だろう。」

などということになりかねません。 こうして書くと笑い話のようで「誰がそんなことするか」とも思えるわけですが、例えばあなたが自分の仕事で「一応マニュアルはあるけど、入ったばかりの新人には任せられないな」という作業があるならば (おそらくあるでしょう)、それが「独自判断を迫られる」場面。 シビアな状況というのは思いの外、そこここに転がっているものなのです。

斯く言う私自身、知らず知らずのうちに疑似科学・オカルトに属する理論を鵜呑みにしてしまっていることがあるかもしれません。 エンジニアの間で互いに批判・議論ができる雰囲気があれば、気付いた誰かに指摘してもらって、「信用」を失うような失敗をやらかす前に修正できるかも。 そんなムシの良い願いを込めて、あれこれと批判めいたことを書いてみました。 異論・反論があれば、是非ともコメントをお寄せください。

Narita (情けは人の為ならず。)
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Untitled ( Author: maprmed70 <EPiPggt2vI5o9> )

あなたはエンジニアであることを自負しておられますが、研究者ではないのでしょう。きわめて粗雑な議論を展開しおられるようです。事実をしっかりと見つめ、もっと慎重に理論を構築していくべきです。   

代替療法についていえば、陰陽五行論や四体液説なんて信じる必要はないし、経絡や経穴という特殊な構造体は解剖学的に存在しません。しかし、確かに古代の思弁的理論ではあるが、現代医学の不確実性と限界を乗り越え、パラダイム転換につながる多くのヒントが含まれている。したがって、全面否定してはなりません。経絡や経穴という特殊な構造体などなくても、古代中国人が「気」と呼んだ情報伝達は可能なのです。もっとも注目すべき治療法は鍼灸です。鍼灸という手段は他の方法に変更したほうがよいが、「虚実」という現代物理学につながる現象があるのだから。
「代替医療のトリック」程度のレベルの低い本をベースに議論をするのはやめましょう。

科学史を見れば、事実と整合しない古代の科学は、思弁的理論の大部分は否定されるが、原子論のように一部取り込まれて現代科学につながるものもあるのです。乱暴な議論は何も生み出さず、疑似科学同様の害をまき散らすことになるので注意が必要ですよ。

回答 [1/2] ( Author: なりた )

典型的な「本文の内容をちゃんと読まない」「具体性のない観念論に始終する」コメントが投稿されましたが、FAQ的なコンテンツになりそうなので、回答しておくとしましょう。


> あなたはエンジニアであることを自負しておられますが、研究者ではないのでしょう。きわめて粗雑な議論を展開しおられるようです。事実をしっかりと見つめ、もっと慎重に理論を構築していくべきです。

[1-1] (科学の) 理論を構築するのは研究者の仕事です。そしてエンジニアの領分は、それを応用して実用に供すること。私のことを「エンジニアではあっても研究者ではない」と評しておきながら、何故に研究者の役割を課そうとするのか理解に苦しみます。更に言うと、私は本エントリ中において何一つ理論を「構築」してはいません。科学において広範に共有・了解されている知見を論拠 (の一部) としているだけです。

[1-2] 私が「粗雑な議論を展開」しているとのご指摘を頂きましたが、それならば具体的にどの部分がそれに該当するのか、最低でもひとつくらいは明示するべきでしょう。その上でしっかりと見つめるべき「事実」というのが何であるか具体的な説明が欲しかったところです。


> 代替療法についていえば、陰陽五行論や四体液説なんて信じる必要はないし、経絡や経穴という特殊な構造体は解剖学的に存在しません。しかし、確かに古代の思弁的理論ではあるが、現代医学の不確実性と限界を乗り越え、パラダイム転換につながる多くのヒントが含まれている。

[2-1] 陰陽五行論が不要なのであれば、それは現在の知識体系からは除外されるべきです。例えば、現代科学の理論には過去に棄却された "燃素 (フロギストン)" や (光の媒質として仮定された) "エーテル" は含まれていません。(注: "科学史" は科学理論ではない。) これとは対照的に、本文中で紹介したように東洋医学の実践者たちの多くは自らが提供する「技術」の説明として陰陽思想や五行説を前面に押し出しています。より発展した新しい理論ではなく、信じる必要のない旧い理論を表看板として掲げ続けるのは何故でしょうか。(そもそも理論は理解・検証するものであって、信じるものではないと思いますが。)

[2-2] 本文中で繰り返し説明していますが、現代の標準医療において経絡や経穴といった理論が否定されるのは解剖学的な実体がないからではなく、エビデンスが得られていないからであり、またその理論の実践者たちが信用されないのは、彼らがエビデンスを軽視しその必要性を理解しようとしないからです。二重盲目試験をはじめとした手法が代替医療にそぐわないというのであれば、では一体何を以ってその治療に「確かに効き目がある」と主張するのか。それは単なる個人的な伝聞・体験ではないのか。違うとすれば、どのようにバイアスの排除を担保しているのか。問われているのはそこのところなのです。

[2-3] パラダイム転換につながるヒントとは具体的にどのようなものでしょうか。「多く」とおっしゃるのだから、一つ二つくらいは例示できるはずですよね。加えて「現代医学の不確実性と限界」についてもどのようなものを想定しているのか具体的な説明が欲しいところ。勿論、現代医学には限界も不確実性もあります。すべての病気を治せるわけではありませんし、効果があるとされる薬を投与しても良い結果が得られないケースも珍しくありません。ですから、それらのうちのどのような限界や不確実性が、どのような「古代の思弁的理論」に含まれるどのような「ヒント」によって、どのように乗り越えられるのかについては、私だけでなく世界中の医学研究者が興味を持つでしょうから、是非具体的な説明をお願いしたいところです。

(つづく)

回答 [2/2] ( Author: なりた )

> 経絡や経穴という特殊な構造体などなくても、古代中国人が「気」と呼んだ情報伝達は可能なのです。もっとも注目すべき治療法は鍼灸です。鍼灸という手段は他の方法に変更したほうがよいが、「虚実」という現代物理学につながる現象があるのだから。

[3-1] 繰り返しになりますが、経絡や経穴の理論の問題点は「特殊な構造体」の不在ではなく、エビデンスの欠如にあります。物理学では物質的な実態が観測されない概念であっても、現象を矛盾なくかつ精度良く説明・予測することがあれば、理論として認められます。例えば現在のところ、電荷・磁極の周囲の空間をいくら観察しても電気力線・磁力線に相当する「実体」は見出されませんが、他の荷電・磁性粒子に及ぼす力の強弱や、その伝播速度などが観察される現象と一致するために「正しい理論」として認められています。別の例としては量子力学で用いられる波動関数 - 時空内の各点において粒子の存在確立 (検出確率) を求めるための理論 - が挙げられます。この関数が物理的な実体を示唆するものであるかどうかについては実在論者と実証論者との間で対立があるところですが、いずれにせよ今日の時点においてはそれに相当する物理的実体は発見されていません。しかし、量子の振る舞いを記述・予測 (確率的にではありますが) において正しく機能するために、そして唯それが故に量子力学の基礎を成す理論として位置付けられています。それらと対照的に「気」が科学理論として認められないのは、そうした客観的な記述・説明能力を持たない、言い換えれば「実体 (substance)」ではなく「実態 (facts)」を欠くためです。

[3-2] 鍼灸における「虚実」と呼ばれる概念にはあまり詳しくありませんが、「現代物理学につながる現象」とのことなので、軽く調べてみました。「この説明を読むべし」とリンクのひとつも提示して頂ければよかったのですが、そういった情報はなかったので、検索をかけて説明の分量が多そうなページを幾つか読んでみました。

http://www.ami-ca.com/keiraku/chiryou/
http://www.itakunaihari.com/blog/2013/02/post-99.php

これらの説明の妥当性については判断を差し控えますが、「現代物理学」との関連性があるようには思えません。(コメントの冒頭で指摘された通り) 私は研究者ではないものの、科学については世間一般における平均よりは幾分多くの知識を持ち合わせていると自負しておりますが、私の知る物理学はこれらの「虚」「実」といった概念とは、少なくとも現代の標準医学と同程度かそれ以上に合致する如何なる接点も見出せませんでした。


> 「代替医療のトリック」程度のレベルの低い本をベースに議論をするのはやめましょう。

[4-1] 同書は理工学系の研究者および医師からも概ね好評であるようですが、私の観測範囲が狭いだけかも知れません。であれば、オススメの書籍の1~2冊も教えて頂きたかったところです。提示されたからといって私は必ずしも読むとは限りませんが、このエントリを目にした漢方や鍼灸に対して半信半疑あるいはニュートラルな視点を持つ人々にとって、何が事実なのかを見定める手助けとなったことでしょうに。


> 科学史を見れば、事実と整合しない古代の科学は、思弁的理論の大部分は否定されるが、原子論のように一部取り込まれて現代科学につながるものもあるのです。

[5-1] 「原子論」というのは古代ギリシャのデモクリトスらが唱えたもののことを言っているのかと思いますが、それをして現代科学に「取り込まれた」とするのは無理があります。当時の原子論には理論と呼べるものも検証の手段もなく、それどころか傍証すらない、「単なる信念の表明」でしかありませんでした。その後の化学 (錬金術) の発展を経て、18世紀にトムソンやラボアジエによって「再構築」された原子論は「原子 (atom)」という用語こそデモクリトスから拝借していはいますが、それ以外は完全に別物と言えるもの。これらを同一視するのは、「四元素説」が物質の四態につながる (土 = 固体, 水 = 液体, 風 = 気体, 火 = プラズマ) とか、陰陽説が酸とアルカリにつながる (陰 = 酸, 陽 = アルカリ) のような主張と同様の「こじつけ」です。


大分長くなってしまいましたが、とりあえずこれで終了。誰かの書いたものに対して意見するというのは本来このくらいの手間が掛かるものなのですが、元コメントを見ると記事の本文がどこにも引用されていません。これでは私の書いた内容のどこに意見されているのかが不明確で、回答をするにもいちいち相手の意図を推し量ってやらなければならないので面倒なことこの上なし。

更にその内容も徹頭徹尾抽象的 (メタ) であり、具体的 (ベタ) な内容を殆ど含んでいません。要約すると「君は物事が分かっていない。私は分かっている。(それが何かは言わないが。)」といったところでしょうか。まともな議論においては、こうした抽象論を弄して自らの知的優位をアピールしつつ、具体論には決して踏み込まずに仄めかしばかりを繰り返す「メタぶりっこ」は嫌われるのが常。高みからのもの言いで参加者を不快にするばかりで、メリット (= 検証可能な情報) を提供しないからです。(参考: http://www39.atwiki.jp/cactus2/pages/13.html)

ならばどうして無視せずに回答したのかと言うと、冒頭にも書いた通りFAQ的なコンテンツとしての価値を見込んだからです。従って、この回答は本エントリの未来の読者のためのものであり、コメント投稿者を説得しようという意図は一切含まれていません。

そんなわけで、同一人物か別の人物かは問わず、この回答に再反論するコメントが投稿されてもその公開は行わず、私から返信することもしない、ということをここに宣言しておきます。記事本文に対して意見がある方は、ご自分の言葉で (そしてできれば、記事本文のどこに対応するのかを明示した上で) 本回答およびその元コメントとは独立した文脈で一から論点出しをして頂くようお願い致します。

Untitled ( Author: マッチョ <SHF9aGSvxwBK> )

見応えありで面白かったで

でも信用が第一というなら、画像に対する著作もきちんと意識してほしいで?
その辺のまとめブログじゃないちゃんとした内容なので、せめて画像にも引用元書くべきじゃないやろか
いくら申告制と言っても、著者に対するリスペクトやで
言葉の重みを乗せたいなら徹頭徹尾してほしいで

Untitled ( Author: マッチョ <G8ogTWMYiRuI> )

あ!画像にリンク貼ってありましたね…
失礼しました……

ダウジング ( Author: たろう <bAo4w5k7@Ud> )

ダウジングって呪いみたいなものでしょ。危険物をこれで発見しようとするのは非常に危険です。なぜなら呪いのようなものだから。
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