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Fake Professionals

ソフトウェアが大規模化・複雑化の一途をたどる今日では、ユーザインターフェイスの設計は、本体の設計・製造と切り離され、それを専門とする「デザイナ (designer)」と呼ばれる人々によって為されるものとなっています。 これにより、ソフトウェアの外観は洗練されたものとなり、同時に利用者にとって親しみやすいものとなりました。 事実、デザイナが作成するロゴやボタンなどの画像は、私がペイントで描くものとは比較にならないほど優美でスタイリッシュです。

けれども、私はときに彼らの「デザイン」に強い違和感、もっと言えば不満を覚えることが少なくありません。 それは、彼らが「美術 (fine art)」の技法・概念を偏重するあまり、対象となるソフトウェアの機能や役割から逸脱したものを作る傾向があるからです。 そもそも「インターフェイスデザイン」というのは、対象となるソフトウェアをユーザが容易・快適に使えるようにすることを目的としているもののはず。 ところが、その関係がいつの間にか逆転し、「美しいインターフェイス」を作るために操作性や機能が犠牲にされてしまっているケースが頻繁に観察されます。 また、単純な知識・技術あるいは経験が不足しているために、工学的に問題のあるデザインが為されている例も枚挙に暇がないほど。

例えば、綺麗なフォントで読ませたいがために、文章を全部画像にしてしまっているウェブページ。 代替テキスト (alt あるいは longdesc 属性) も提供しないので、検索エンジンのクローラには拾われない上、画像表示に対応していないブラウザや視覚障害者などにはアクセス不能の代物に。 その上、彼らが好んで用いる小さなフォント (9~10ポイントあたり) は、読んでて目が疲れるのなんの。 健常者にとっても不便なことしきりです。 (参照: 文字の大きさ)

さらに深刻なのは、そうした問題を指摘されても、デザイナが「アートだから」とか「感性の問題」などと言って、それを退けてしまうこと。 「コスト」だの「費用対効果」といった用語を持ち出して、自分のデザインの拙さを正当化する人も多く見られます。 (画像内の文字をテキストとしてHTMLソースに埋め込むのに、いったいどれだけの「コスト」が掛かるというのでしょう?) そうした姿勢・認識は「業界」に常識あるいは雰囲気として定着してしまっており、容易には変わりそうにありません。

それでも、注意して見てみれば、この現状を問題アリと認識しているデザイナ, アーティストの意見を見付けることができます。 (以前の記事 (「デザイン」の問題) で引用した KOJI's Diary のその一つ。) 今回は彩夢万丈というサイトで見つけたある記事と、そこで取り上げられている作品を紹介したいと思います。

セバスチャンの店

2008年 6月 6日の記事で、著者の鈴木盛人 (Morito Suzuki) 氏は、BBC制作のテレビ番組 "Ramsay's Kitchen Nightmares" を取り上げています。

ハリウッドにある「セバスチャンの店」。 立地条件に恵まれているにも関わらず、夜8時に客が誰も居なくて店を早めに閉めてしまう事もある。 そんな店を立て直すためにゴードン・ラムジーが訪れます。

( 中略 )

シェフはバラエティを誇っているらしく、メニューはめちゃめちゃ品数が多く、何ページにも及んでいる。 「Marinade, Topping, Seasoningの20のコンビネーション」という「コンセプト」に基づくものだという・・・「当店独自のコンセプトです」みたいに、オモテ向けにアピールするための自己満足的コンセプト・・・とても解り難い。 客もその解り難さにただ圧倒されるだけ(デザイナーのこれに似ている)。

ピザ生地も冷凍。 立派な石釜があるにも関わらず、素材はすべて合理化のために冷凍ものを使っている。 これだけ沢山の種類に対応するには、そうせざるを得ないといのだろう。 ピザが呼び物の店なのに、生地が冷凍など有り得ないとラムジーが指摘すると、シェフは「メニューの豊富さが呼び物なのだ」と言う。 そして「この店のピザは、そのうち世界中のスーパーマーケットに並ぶ事になる」と、そして「世界中にフランチャイズが広がる」(そのための合理化=冷凍食材)という希望的プラン(コンセプト?妄想?)を話し始めるシェフ。 ラムジー、耳を疑う(笑) シェフはラムジーの言葉を一切受け入れず「それはあなたの意見。世界中の人達はそう思っていない」と開き直る。 あきれてラムジーが立ち去ると、シェフは勝ったと勘違いしてガッツポーズ・・・。

( 中略 )

もちろんファミリー・レストランに星つきレストランのクオリティは求められません。 ただこのシェフは、あまりにも味のクオリティに対して努力していない。 ラムジーが「似非シェフでいるのが嫌じゃないのか」と訊くとシェフは「似非ではない。これはフランチャイズ化のためのコンセプトだ」と話し始める。 「自分の小さな店の料理もちゃんと出来ないのに、世界規模のフランチャイズと自分の名声の事を考えるなんてどうかしている。あれは料理じゃない。」とラムジーは言う。

Ramsay's Kitchen Nightmares

これを読んだとき、私の頭の中では、店主セバスチャンと、先に述べた「デザイナ」たちの姿がぴったりと重なりました。 基本的な知識・技術も身に付いていないのに、ひとりよがりな「コンセプト」を振り回し、自らの「理論」の正当性をアピールする様子などは、不気味な程に相似形。 これはレストランを題材にしているので、その酷さがはっきりと分かるのですが、デザインの現場でもこれと同じことが起きているのではないでしょうか。 (いや、実はプログラミング, ソフトウェア開発の現場だって相当なものなのなんですけどね...。)

いずれにせよ、基本あっての応用というか、地に足を付けて進むことの大切さというか、そういうものをもう少し見直すべきなのではないのかと思うのです。

ところでこの "Kitchen Nightmares"、非常に面白そうなので、DVDで観たいと思って探してみたのですが、どうも日本版は出ていないようです。 Amazon で輸入版 を買うことはできますが、リージョンコードが 1 なので、手持ちの機器では再生できません。 個人的には翻訳字幕や吹き替えは要らないので、英語字幕だけ付けて出してくれればいいのに、と思っていたり。 英語の勉強にもなりますし。 (多分、それじゃ売れないんだろうけど。)

Kitchen Nightmares US - Season 1 Episode 6 Sebastian's - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=yORCX9doDz4

ちなみに、同番組の別エピソード「グラスホッパー」編も、また別の問題を取り上げているのですが、そちらもお奨めです。 リーダたる立場の人間が指揮を執ることを放棄したとき、現場ではどんなことが起きるのか。 部下を持つということの意味と責任について、色々と考えされられます。

Kitchen Nightmares Grasshopper Episode! - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=7rlQNc-g3-Y
Narita (イギリス人やアメリカ人ばっかり面白いテレビ番組観てズルいよぅ...。)
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