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Panem et Circenses

みなさんは、今ネット上で話題となっている「武雄市図書館問題」をご存知でしょうか。 コトの発端は、佐賀県武雄市が行った、図書館運営民間委託構想の発表です。

TSUTAYA (ツタヤ) を運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ (CCC) と佐賀県武雄市は4日、武雄市図書館の企画・運営に関する提携で基本合意したと発表した。 CCCが指定管理者として来年4月から図書館を運営し、開館時間を延長するなどサービスの向上を図る。

武雄市図書館の運営費は年間約1億4500万円かかっているが、同市はCCCへの委託で1割程度減らせると見込む。 この日都内で会見した樋渡啓祐 (ひわたし・けいすけ) 市長は「サービスを向上しつつも経費を下げるために、民間のノウハウを提供してもらう」と述べた。

図書館の利用カードはCCCのポイントカード「Tカード」へ切り替える。 Tカードは若い世代に普及しており、図書館を使わない人が多いとみられる若年層を呼び込む狙いがある。 本を借りた人へのポイント付与も検討する。

この構想を主導する樋渡市長は、昨年8月に武雄市のウェブサイトをFacebookに全面移行し、「Facebook 市長」として有名になった人物。 (参考: 「市長がはまっている」佐賀県武雄市、市のページをFacebookに完全移行へ - ITmedia ニュース) その他にも「日本Twitter学会」なるものを立ち上げ、その会長を務めるなど、SNSの活用にひとかたならぬ熱意をもっているようです。

この図書館民間委託構想について、産総研のセキュリティ研究者である高木浩光氏によってプライバシー保護上発生しうる問題の指摘および懸念の表明 (詳細は後述) がなされました。 しかし、これに対して樋渡市長は常識では考えられない不誠実な対応を行い、現時点においてもそれは継続されています。 これまでの経緯をまとめることが本エントリの趣旨ではないので、ご存知でない方は以下のページをご覧ください。

当ブログは、私の事業の公式であることもあり、普段はこうした特定・個別の社会問題については言及することを避けています。 しかし、今回の一件は私が独立するに至った理由と、この事業を行っている動機に密接に関連するものであるため、今回のエントリではこれについて自分の見解を述べる、より正確には、この図書館民営化構想の推進側の対応について、以下の三点から批判を行うことを決意しました。

  • 議論における不誠実さ
  • 指導者としての無能
  • 無責任な「市民」

追記 [2012/05/13 7:30]

以下、他の視点からの批判・指摘などを紹介。

動機が(自称)善だから何やってもOKなんです(キリッ) - カレーなる辛口Javaな転職日記
http://d.hatena.ne.jp/JavaBlack/20120507/p1
覆水は盆に返せるのか? - がるの健忘録
http://d.hatena.ne.jp/gallu/20120505/p1
プライバシー侵害を懸念する際に「個人情報保護法」でいう個人情報でないから問題ないと主張する組織が相次いでいるのが問題 - 発声練習
http://d.hatena.ne.jp/next49/20120510/p1
もし現役首長が「知り合いのスーパーハカーが黙ってないぞ」と言いだしたら - conflict error
http://webkit.seesaa.net/article/269469626.html

議論における不誠実さ

このような大規模な事業は、どれほど注意深く企画・立案されたとしても、思いもよらなかった部分で様々なトラブルを生じるもの。 だからこそ、実施前に可能な限り問題点を洗い出して対策を講じる必要があるわけです。 そのような観点からすると、今回取り沙汰されているようなプライバシーの問題は事前に予見・検討されていて然るべき案件であり、本来であれば、武雄市はこれに対する対応を発表の内容に含めるべきでした。 とは言え、市長はプライバシー問題の専門家ではないでしょうし、他の職員もこれに気付かないといったことも可能性としてあるわけです。 (実際に今回がそうであったように。) しかし、こうして構想を発表すれば、それを目にして問題に気付いた人から指摘が出ることもあるわけで、その際は改めて吟味・検討すればよいだけのこと。 というよりも、そのように広く意見を集めることこそが、事前発表の主要な狙いであるはずでしょう。

高木氏の指摘によれば、現行の「個人情報」の定義には不備があり、何が「守られるべき情報 (プライバシー)」であるかについて多くの人が誤解している状況があるとのこと。 詳細は以下に引用した記事の本文を読んで頂きたいのですが、要するに、急速に進展する情報技術利用の現場におけるプライバシー保護は、現在の個人情報保護法の規定に拠っていては不可能だということです。

現行個人情報保護法の「個人情報」の定義に不備があることを、これまでずっと書き続けてきた。 「どの個人かが (住所氏名等により) 特定されてさえいなければ個人情報ではない (のだから何をやってもよい)」とする考え方がまかり通ってしまいかねないという危機についてだ。

2003年からはRFIDタグ、2008年からはケータイIDによる名寄せの問題を中心に訴えてきたが、当時、新聞記者から説明を求められるたび、最後には「被害は出ているのでしょうか」と、問われたものだった。 当時は悪用事例 (不適切な事例) が見つかっておらず (表沙汰になるものがなく)、これが問題であるという認識は記者の胸中にまでしか届かなかった。

それが、昨年夏から急展開。スマホアプリの端末IDを用いた不適切事案が続々と出現し、それぞれそれがなぜ一線を越えているか説明に追われる日々になった。 スマホの端末IDの問題は米国でも顕在化したことで、Apple がUDID廃止に動き、この問題への理解はようやく広まった。 今では、この業界で堂々と「個人が特定されていなければ個人情報でない」を持ち出す人は少なくなったのではないか。

それより先に今言いたいのは、こういうことが起きるのは、何が「個人情報」なのかを、日本の事業者や行政がみんな揃って履き違えているためではないかということだ。

日本の事業者はどこもかしこも、「個人情報」に該当しなければ何をやってもいいという誤った道に進み始めている。 そして、日本の個人情報保護法では、住所氏名等を含まなければ「個人情報」でないという法解釈がまかり通ってしまっている。

つまり、図で表すとこういうことだ。

図3: プライバシーマークが言う「個人情報」と、個人情報保護法が言う「個人情報」の関係 図4: 個人情報保護法における「個人に関する情報」と「個人情報」の関係

「住所氏名なんか、公開情報であって、秘密にする情報ではない」という声も聞かれるように、個人情報保護法がくだらない無益な規制だと言う人がいるが、そういう人は、JIPDECと同じ思考に毒されているのだろう。 本当に守るべきものは住所氏名なのではなく、(住所氏名に紐付けられた) プライバシーデータである。

「プライバシー」という言葉を使っただけで、「定義が明確でない」と言い出す人がいる。 確かに、個人情報保護法など、法律案の議論においては、それをどう定義するかがかなめであろう。 しかし、技術の議論においては、それを狭く定義する必然性はない。むしろ可能な限り広く仮定して、技術がもたらし得る影響を個別に洗い出しておくことが必要である。

今年4月1日、経済産業省から「商品トレーサビリティーの向上に関する研究会中間報告書」 が公表された。 「トレーサビリティーに共通する社会的課題の解決」として、「個人情報の保護について」が書かれている。 そこから引用すると、

無論、それ単体では個人名まで特定できない使用者の使用履歴情報などは個人情報には該当せず、そうした情報を商品に添付しておくことには何ら問題がないことはいうまでもない。

とある。 これは、認識不足が原因で導かれた誤った結論の典型例である。

確かに、RFIDタグが無造作に置かれている場面を想定すれば、それがだれの情報なのかは不明かもしれない。 しかし、ある人が目の前にいる場面で、その人の持ち物に付いているらしきRFIDタグから「使用履歴情報」が送られてきたならば、その履歴情報がその人のものであることは自明である。 つまり、研究会の結論は、「環境が既に個人を特定している場面」を想定できていない。

こうした指摘に対して、市長は自身のブログで次のような「反論」を述べています。 しかし、これが全然かみ合っていない。

ユーストでも言いましたが、「貸出情報は個人情報には当たらないというのは僕の持論」。 皆さん、個人情報ってどういうものなのか、一度まとめてみますね。

個人情報とは、個人情報の保護に関する法律 (平成15年5月30日法律第57号) の第1条にその目的があり、「この法律は、高度情報通信社会の進展に伴い個人情報の利用が著しく拡大していることにかんがみ、個人情報の適正な取扱いに関し、基本理念及び政府による基本方針の作成その他の個人情報の保護に関する施策の基本となる事項を定め、国及び地方公共団体の責務等を明らかにするとともに、個人情報を取り扱う事業者の遵守すべき義務等を定めることにより、個人情報の有用性に配慮しつつ、個人の権利利益を保護することを目的とする。」となっています。

その中で個人情報とはというとね、その定義は、「この法律において「個人情報」とは、生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの (他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。) をいう。」となります。

前にも書きましたが、個人情報とは、個人情報の保護に関する法律 (平成15年5月30日法律第57号) の第1条にその目的があり、「この法律は、高度情報通信社会の進展に伴い個人情報の利用が著しく拡大していることにかんがみ、個人情報の適正な取扱いに関し、基本理念及び政府による基本方針の作成その他の個人情報の保護に関する施策の基本となる事項を定め、国及び地方公共団体の責務等を明らかにするとともに、個人情報を取り扱う事業者の遵守すべき義務等を定めることにより、個人情報の有用性に配慮しつつ、個人の権利利益を保護することを目的とする。」となっています。

その中で個人情報とはというと、その定義は、「この法律において『個人情報』とは、生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの (他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。) をいう。」となります。

それと、武雄市では、この法律に基づき、武雄市個人情報保護条例 (平成18年3月1日 条例第12号) があり、条例の目的として、「この条例は、個人情報の適正な取扱いに関し必要な事項を定めることにより、個人の権利利益を保護し、もって基本的人権の擁護と公正で信頼される市政の実現を図ることを目的とする。」となっていて、ここでの個人情報の定義は、第2条において、「個人を対象とする情報であって、特定の個人が識別することができるものをいう。」となっています。

日本の個人情報保護法上は、端末ID等は、「他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるもの」に該当しないとされており、「個人情報」ではないことになってしまう。 (総務省の「第二次提言」は単なる提言にすぎない。)

こんな高木さんのようなわざわざ特定の自治体の名を出して欠陥扱いするような人が出てくるので困る。 繰り返し言いますが、いろんな意見はあって良い、しかし、国の機関に属しておきながら、特定の自治体を陥れるような発言は、僕は許せない。

高木氏が「個人情報保護法の規定には欠陥がある。これに依拠していてはプライバシーを守ることはできない。」と述べているのに対し、樋渡市長は「うちは個人情報保護法に則ってやっているんだ。違法じゃないんだからガタガタ言うな。」と言っているわけです。 指摘されている「勘違い」を繰り返しているだけであり、まったく反論になっていないことがお分かり頂けるでしょう。 そもそも、もし武雄市が市民のプライバシーを保護することに重きをおくならば、現行の個人情報保護法に不備が指摘されている以上、さらに進んで、これを実現できる制度を考案していく必要があります。 そのためにこそ、地方公共団体には条例を定めることが認められているのですから。 「法律に則っている (違法でない) から良いのだ」として、起こりうる問題への対処をしないというのは、地方自治の怠慢あるいは放棄に他なりません。

さらに言えば、市長がやりたがっている「リコメンド (おすすめ) の提示」は、CCCへの情報提供と不可分の関係にはなく、図書館独自にデータベースを保有・管理すればできることです。 そして、これを行っている公立図書館も存在しています。 (参考: 公立の図書館はがんばっている - Togetter) プライバシー問題の指摘は図書館運営の民間委託という構想の根幹を揺るがすようなものではなく、技術的な課題として対応・解決すればよい類のもの。 であるにも関わらず、樋渡市長はこれに向き合うことをせず、「企画を "つぶそう" とするものだと」断じ、一顧だにすることなく退けようとしています。

さらに樋渡市長は Twitter において、およそ公人とは思えないような発言を始めます。 (いや、これは一般人だとしても駄目ですが。)

そうですね。 この問題は地方自治、地方行政、図書館の在り方など全般の話だから。 セキュリティだけの世界から出てきてくださいね。 RT @goer おお、公開討論会ぜひやってほしい。でもきっとこの市長は、高木先生の (cont) http://tl.gd/hb4g2f


では、僕があなたの上司にあなたのblogを携えてお願いに行きますよ。 ちなみに元経済産業省事務次官には伝えましたが、「困ったものだ。」と言ってましたよ。 RT @HiromitsuTakagi 繰り返しますが、 (cont) http://tl.gd/hb4p1g


逃げてますね〜。 今週上京してあなたの職場にこのblogを持って行きます。 上司に判断してもらいましょう。 RT @HiromitsuTakagi @hiwa1118 ご指定のblog「高木浩光@自宅の日記」は、 (cont) http://tl.gd/hb4rek


今までの言動を見れば分かるとおり。 僕は霞ヶ関そして国会議員に働きかけます。 国会で取り上げてもらいます。 RT @baked_pudding @hiwa1118 @HiromitsuTakagi 上京して、というなら市長が高木浩光氏に会いに行けばどうですか。


あの僕被害者なんですけど。 詳しくは高木blog&Twitter見てね。 RT @satromi すげえ!市長という公人が誹謗中傷してる! RT @hiwa1118 えっ!あの高木blogと高木Twitterが恫喝ですよ。僕は優しいんですが


高木さんという人から最初に威迫されたんですよ。 高木blog&Twitter見てよ。 RT @keiji_ariyama .@hiwa1118 いや、手を打つんなら、黙って、きちんとした手順踏んでやれば良いじゃ (cont) http://tl.gd/hb533d


ありがとうございます。 権力を私する上からの目線の人間は許せないのです。 高木さんは国の研究機関で働いている人ですから。 彼のリツイートしている内容は明確に専門外です。 RT @rcs789789 @hiwa1118 うちのじいちゃん市長のこと謙虚で優しいてゆーてましたよ。

要約すれば「オタクのくせに。」「上司を出せ。」「官僚や議員に働きかけるからな。」「僕は被害者。」「上から目線で気に入らん。」「公務員が僕を批判するのは許さない。」です。 自分に対する批判を封じる目的で「言論弾圧」というフレーズが持ち出されることは珍しくありませんが、公権力を持つ者が行うリアル言論弾圧を目のあたりにする機会は、そうそうあるものではないでしょう。

私がこのような姿勢を批判するのは、それが最終的にIT業界に対する信頼を損なうものであると考えるからです。 世の中にはセキュリティやプライバシーの問題に対して、傍目には過剰と思えるほどに慎重な取り組みをしている企業や開発者が少なくありません。 それは、「セキュリティおよびプライバシー問題への対応・配慮は、業界において常識となっている」という認識と評価を社会全体に浸透させる狙いと動機があってのこと。 そうした信頼がなければ、消費者は安心してITサービスを利用することはできず、結果として産業としての発展が阻害されるという認識があるからです。

そうした地道な努力と取り組みは、今回の武雄市の件や、あるいは一部の企業がおこなっているような、配慮を欠いた「やった者勝ち」の「イノベーション」が出てくることよって、いとも簡単にフイにされてしまうものなのです。 業界全体がそうして積み重ねてきた信用を、このような詭弁や恫喝を駆使して短期間で売り飛ばし「カネ」や「話題」に変える輩が続々と出てくる。 そんな状況が続けば、業界として先細りになることは見えていますし、何より、そんな業界で自分の仕事に誇りを持つことなどできるわけがありません。

指導者としての無能

技術的な観点から離れてみても、今回の一件は武雄市側にはまだ大きな問題があります。 それは、行政の主体として様々な事業を企画・実行していく組織としての資質の欠如。

先にも述べたとおり、こうした市 (のみならず、ある程度の規模の企業や自治体) が運営する事業は、広く多方面への影響力を持っており、また、逆にそれらの反響を受けることにもなります。 比較的独立性の高い事業であっても、他分野の専門家の意見を諮り、また周囲の意見を募りつつ施策が行われるのは、そうした複雑に絡み合う複数の要素について、精度の高い検討・検証を行う必要性があるからに他なりません。 今回のような規模のプロジェクトを立ち上げる場合、トップで指揮を執る人物の下には、各分野における専門的知識・経験を有するスタッフが参謀あるいは顧問として配置されるのもの。 トップの役割は基本的な方針を示すこと、要所での裁可を下すことに留まり、現場運営のデザインや対外発表のスキームは、その部下によって立案・実施されるのが普通です。

ところが、樋渡市長のこれまでの報じられている言動からは、彼がこうした視点を著しく欠き、「自分はどの分野においても専門家よりも妥当かつ適正な判断を下すことのできる存在である」という意識のもとに行動していることが伺われます。 今回のプライバシー問題への対応についても、これについて技術的な視点を持つ担当者あるいはアドバイザへの諮問が行われている気配はありません。 基本的には市長が携わる各種の背策において、メディアへの発表などを含め、殆どすべてが市長の意見・持論で進められているように見えます。 これはプロジェクトの主導者である彼が「自分が改革者・ヒーローとして称賛を浴びること」だけを考えているためでしょう。 全ての成果と名誉を自らのもとへ集中せんとする者にとっては、(たとえ部分においてであっても) 己よりも高い知見を有する部下、あるいは助言・提言を呈する他者は「障害」でしかない。 そうした認識を正当化するためには、己の全能・無謬性を確信すると同時に、周囲にもこれ認めさせなければなりません。 故に、いかなる場面においても己の非を認めることは不可能となり、結果として、前節で指摘したような「絶対に負けない」不誠実な議論に始終することになります。

でもね、僕はこういった炎上とか全然気にならないんですね。 それはなぜか、この新図書館構想そのものの動機が善だし、その上、これは市民価値の向上につながるものと確信しているから。 そういう意味では、市民病院の民間委譲と全く同じなんですね。 それと、武雄の知名度がさらに上がることによって、結果、図書館のあり方に関心が集まる。

僕は公私一体。 武雄市が趣味。 予算の最終責任者は市長である私であり、執行は教育委員会です。 もっと勉強してください。 RT @Vipper_The_NEET こいつやっぱり公私の区別ができないんだな。Ustで「私 (cont) http://tl.gd/hb4erm


よく言われますが、僕は自分の思ったことはそのままストレートに言います。 それは市民価値の向上のためであれば。 RT @keiji_ariyama え、この人、市長なの?嘘でしょ? RT @hiwa1118: 逃 (cont) http://tl.gd/hb4v1m

「僕は正しい。何故なら、僕は正しいからだ。」というトートロジー以上の主張は読み取れませんが、自分の過ちを認めることが許されていない (と思い込んでいる) 人の言として無理なからぬところ。 うっかり根拠を述べたりすれば、それを覆される可能性があるのですから。

さて、当人はこれで気分が良いかも知れませんが、周囲の人間 (とりわけ部下) にしてみれば、この状況は堪ったものでありません。 代表者にこうした態度を取られては、自分たちの仕事の誤りを修正・訂正することができないのですから。 内心では現状を「おかしい」と思いつつ、それを公に改めることができないストレスは察するに余りあります。 もしそうした状況を打開する才覚を持った人材が現場にいたとしても、トップに煙たがられて追い出されるか、あるいは嫌気がさして自ら去るかのいずれかで、組織のために活用されることはなく、必然的に周囲はイエスマンないし指示待ち族 (死語) だけが残ることになるでしょう。 こうした組織の編成・運用の「失敗」は、明らかにリーダの無能に帰せられるべきものです。

リーダーに認識できない「新事実」は、だから最初から無かったことになるし、助言する側の人たちもまた、リーダーが認識できる事実「のみ」に基づいた意見が求められることになる。 この状況を外から観測すると、「必要な事実がリーダーの指示で隠蔽されている」ように見えるし、「周囲の専門家がイエスマンで固められている」ように見える。

こうした光景は、だから能力を持ったリーダーが、何らかの意図に基づいて暗躍しているのではなく、能力の足りないリーダーが、莫大な情報量になすすべもなくなったときに陥る必然なのだと思う。

だが、指揮官が担うべきものは限られている。 明確な目的の提示、的確な判断、公正な責任の自覚。 まとめてしまえば、この三つに過ぎない。 つまり指揮官とは、 「まず大方針を示し、」「それに基づいて参謀 (幕僚) 等から案を求め、」「勘案のうえで判断をくだし、」「実行を部下の創意に任せ、」「行動の結果について責任を取る。」という星回りの悪い役割なのだった。

たとえば部下から思いもよらぬ案を示された時、けして素直に耳を傾けられない。 その利点ではなく欠点を洗い出すことに意識が集中する。 なぜならば、自分の手元に多様な可能性が存在することに希望ではなく恐怖しか感じないから。 部下の優れた提案、自発的な行動を、隠したくてたまらない自己の無能に対する批判としか受け取れない。 この轍に陥った指揮官が示す典型的な反応は、すべてを自分の得意な問題に引き寄せる (すり替える) 態度と言える。

私自身、このような「自分がスポットライトを浴びることしか考えていない」人物にこれまで何度か遭遇してきました。 それは、組織の長であったり、小班のリーダであったりと様々ですが、そのいずれの現場でも、そうした指揮官の自尊心を満たすためだけに、優れた知識や技術を持った人間が不本意にもその才を埋もれさせられる、或いは理不尽に追い出される、といったことが日常的に起きています。 こうした状況を打開すべくあれこれ手を尽くしてはみるものの、そのような人物の指揮権下にいる限り、状況の改善はまず見込めません。

私にとって、これほど腹立たしいことはなく、同時に、それに抗う術を持たない己が情けなくて居たたまれなくなります。 私が会社と言う組織を抜けてフリーランスとしての活動を始めた理由には、そういった側面もあります。 まだ人を雇用できる状態にはなっていませんが、近い将来には法人化して、自らが理想とする職場を作りたいと思っているところです。

無責任な「市民」

長々と書いてきましたが、実はここからが本題。 ここまで武雄市長についての批判を書いてきましたが、それは彼個人を攻撃するためではなく、そのような人物が権力を手にした背景にあるものを問うためです。

市長は Twitter において、プライバシー問題への指摘を退ける一方で、自らへの賛同・称賛を立て続けにRT (リツイート) しています。 これは「僕はこんなに支持されている」というデモンストレーションなのでしょう。 その是非は措いておくとしても、そうした賛同の意見をよせる人たちが、指摘されている具体的な問題点にまったく触れていないのが気になるところ。

@hiwa1118 僕は武雄市民では無いですが、高木さんの意地の悪いリツイートには思わず腹が立ちました! 先駆者の方は道なき道を進まなければならないので誰よりも大変だと思いますが武雄市民の皆様の為に日本の為に頑張って下さい! 隣の伊万里市より応援しておりますm(__)m

uchidadanna [2012/05/09 00:51]

樋渡VS高木論争のまとめ。 http://togetter.com/li/300338 どう考えても市長の勝ち。 RT@HiromitsuTakagi脅迫されている身ですので、討論会への出席はお断りします。 @hiwa1118

ishiwatarireiji [2010/05/09 08:38]

そうです。多謝。 RT @aquayamaguchi @hiwa1118 いち武雄市民として支持しています。新たなことを始めることに意義があるし、有難いと思います。人間がやることですからアラがあるのは当たり前 (cont) http://tl.gd/hba8g4


そうですよ。だって協調性/集団行動できないんだもん。 そして言いたい放題。 RT @kokusanlaw @hiwa1118 ・・武雄市は樋渡氏による積極的な改革で毎日のように新聞を賑せているし、みるみる街が発 (cont) http://tl.gd/hbaca1

また、Facebook においても同様の賛同・支持の声があがっていますが、やはり問題への言及は見られません。

あちこちで話題になっているが、またその多くで見られる典型的オプトイン国民の言動が悲しい。

まだ行動を起こす前に、素早く先回りして「問題になるかもしれない」点を一所懸命に探して指摘する。 それが得意な人の多いこと、多いこと。

そりゃあ、新しいことをやるわけだからこれまでと比べて問題がゼロってことはあり得ないし、多分やってみたら気付かなかった新しい問題が出てきますよ。 逆に、それが新しいことである証明でもあると思う。

だいたい、日本中の図書館をcccで運営するっていうならともかく、九州の中のたった一カ所、人口5万人の市で、ちょっと変わった市長 (笑) が新しいことをやってみるっていう程度なんだから。 なので、大きな問題がなさそうならば、まあみんなで見守りながら「まずはやってみて」、そして何か問題が出てきたら素早く修正して行く、でいいじゃないですか。 (それがオプトアウト的な考え)

こうやっていくからこそ、シリコンバレーではどんどん新しいものがうまれ、新しい産業が育ち、新陳代謝が起こる訳ですよ。

個人的には、こうした「市民」たちの態度は無責任極まりないものだと考えるところ。 それは、問題をスルーしていることもさることながら、行政の施策について、その「意義」と「結果」について思いを巡らせることなく、「過程」を楽しむことに始終しているからです。 「面白そうだから」「挑戦的だから」「既得権益を叩いてくれるから」といった、刹那的な愉快さ・痛快さだけでモノゴトを判断してはいないでしょうか。 浮かれ騒ぐ若者が近隣住民からの苦情に対して「俺たちは楽しんでるんだから、つまらないコト言うなよ。」と主張しているのと変わりありません。

そうした目先の楽しさにばかり関心が向き、その先にある本質的な問題について考えることをしない「前向き」な「市民」の姿勢こそが、私がこのエントリにおいて真に批判するものです。 タイトルの "Panem et Circenses" を日本語に訳せば「パンとサーカスを」となりますが、古代ローマにおいて無償で提供されるパン (食事) とサーカス (娯楽) に目を眩まされ、政治的無関心にあると揶揄された市民と、現代において見栄えは良いが本質において粗悪な事業やサービスを礼賛している私たちは、本質的に同じ誤りを犯していると言えるのではないでしょうか。

民主主義国家である日本では、主権は「市民」に属するものであることは言うまでもありません。 それは同時に、社会の在り方についての責任もまた「市民」が負うことを意味します。 従って、目先の利害に捉われず、社会がどう在るべきか、そして、そのためには何を選ぶべきなのかを学び、考え、ときに議論することは、私たち一人ひとりにとっての義務と言って差し支えないでしょう。

先に紹介した他の公立図書館の取り組みを見て頂ければ、多くの図書館がプライバシーに関わる事案などについて問題が起きないよう細心の注意を払いつつも、サービスの向上に積極的に努めていることが分かるでしょう。 技術的・資本的には可能なことであっても、それが周囲に及ぼす影響を鑑みて、敢えて行わないというケースはめずらしくありません。 そのような状況において、今回の武雄市の新図書館構想のような拙速なものばかりに関心を向けて持て囃すのは、こうした地道で慎重な取り組みを踏みにじることに繋がります。

こうした傾向は今やITの分野だけでなく、ビジネスの世界全体に広まりつつあります。 その活動の意義や社会への影響などを省みることなく、とにかく目立つこと、コストを切り捨てることだけの「やった者勝ち」の市場。 理念の欠如した事業を称賛する財界人や経営者と、そのような企業が提供する商品やサービスに群がる消費者。 本物が育たない社会を生み出しているのが、そうした自分たちの選択であることに気付くことなく、「事なかれ主義・島国根性が問題だ」などと言って憚らない人々に対しては、深い憤りと絶望を感じています。

そうした流れに抗い、社会の在り方を変えるために、私自身には何ができるのか。 まだ確たる答を見出せてはいませんが、差し当たりこの「武雄市図書館問題」のような事例に対してコミットすることも意義あることであろうと考え、このエントリを書きました。 これを機に、より多くの人にセキュリティ・プライバシーの問題と、それを取り巻く社会的な背景について関心を持って頂ければ幸いです。

Narita (I cannot follow a leader who wants to be praised all the time.)
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Comments

長いので ( Author: T氏 <rTmHne11Ntg> )

三行でよろしく。

三行説明 ( Author: なりた )

難しいですがやってみますね。

1: 武雄市長の対応は、技術論的にも組織の長としてもダメダメ。
2: コトの本質について考えずに、目先の楽しさで盛り上がってる市民がダメダメ。
3: 「三行で」「140字で」とか言わずに、きちんと中身のある議論をしましょう。

こんなところで。
というか、ちゃんと読んでくださいよ。(^^;
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