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過去記事紹介: 「学習」編

独立前に書いたブログ記事に手直しを入れてアップロードしたものへの閲覧者及びクローラ誘導のためのエントリを作ってみることに。 今回取り上げるのは「学習」をテーマにした記事です。

プログラマに限らず、技術者は絶えず新たな技術を習得し続けることが要求される職業。 同時に、必要に応じてそれを後進に教え伝えていくことも、避けて通ることのできないものとなります。 そうした学ぶ・教えるという行為は、業界において色々と見落とされている要素があるように思えたため、そのあたりについて語ってみました。

確かに、コンピュータは、ここ20年ほどで台頭してきた新しいジャンルであり、(最近はその速度が緩んできてはいるものの、) 他の分野と比べて格段に速い進歩・革新が見られます。 しかし、そんな現在のコンピュータ技術もまた、これまで情報技術に携わってきた人々の創意工夫の積み重ねを基礎として成り立っており、何ができて、何ができないかといったことは、それなりの精度で確かめられています。 そうして積み上げられてきた常識・定石を覆すような画期的な発明を行うことは、容易なことではありません。 少なくとも「ちょっとした」思いつきや工夫でなんとかなるほど軽い話ではないわけです。 (もしそれでなんとかなるのであれば、先人たちはどれだけマヌケだったのかということになってしまいます。)

結局のところ、「裏技」を求める人々の心理の裏には、苦労せずに成功したい、というムシのよい考えがあるのではないでしょうか。 「プログラムを書けるようになりたいが、地道で退屈な勉強はしたくない。」 「画期的で高品質なサービスを作りたいが、研究開発や人材教育などのコストはかけたくない。」 そういった願望を持つ人々にとって、この手の「裏技」が非常に魅力的に思えることは想像に難くありません。 しかし、そうした「裏技」の99.9%は「スカ」であることは心に留めておくべきでしょう。

今日の高度に発達した技術に取り囲まれた社会にあって、学生たちの目には、IT業界で活躍するために必要な技能の習得が果ての見えない長く険しい道と映っているようです。 そうした事情も考えあわせれば、「すぐに役立つ」知識・技術に飛びつき、それ以外のことに注意を払わなくなるのもむべなるかな、と思えます。

しかしながら、そのような「効率的な学習」の背後には、「何が役に立ち、何が役に立たないか、予め判断できる」という思い上がりが見え隠れします。 先にも述べたように、見聞きし、触れ、考えたことは、人生において直接何かの役には立たずとも、その人がものを考えるための材料となります。 その材料を学びの過程で拾い集めることなく目的地にたどりついたとして、そこでいったい何ができるでしょうか。

歩いて目的地へ向かっているときは、好きな時に立ち止まったり、気になる路地を見つけたときにひょいとそこに入ってみることができます。 そうやって、面白そうなお店を見つけたり、道の繋がりに気付いたりした経験のある人も多いのではないでしょうか。 学習の場合もそれと同じで、最短経路からの「横枝」を拡げていくことで、これまで無関係だと思われていた事柄がリンクし、知識に幅が生まれます。 自分のいる場所を俯瞰できるようになり、頭の中に「地図」があがっていく感覚ですね。

ところが、移動 (学習) の速度があがるにつれ、この「横枝」を拡げるチャンスは少なくなっていきます。 自動車で移動する際は路地に入れませんし、列車で移動しているときは駅以外の場所で降りることはできません。 その結果、知識からは広がりが失われ、「地図」というよりは一本の線で綴られた「路線図」のようなものになってしまいます。

例えば、建築の現場では、高所作業のために足場を組みますが、この足場は建物の完成時には取り除かれるため、最終的にはそこに残るものではありません。 しかし、この足場をいかに素早く、安定したものを組むか、また、楽に撤収できるようにするかというところに、技術の本質があるのです。 足場は、その上で行われる作業のベースであり、その良し悪しが工事の期間や安全性を大きく左右する要素となることは想像に難くないでしょう。 また、建物が完成してすぐには気付かないかもしれませんが、全体が補修・拡張などの作業を想定して設計されているかどうかは、長期的に見た場合に、その建築物の品質に大きな影響を与えます。

ソフトウェアもこれと同じで、ロジックの共通化、インターフェイスの整備などにより、できあがった「もの」をちょっと眺めただけでは分からない、しかし、決定的な品質の差が生じます。 (参照: 拙速を尊ばない) その差を生み出すのは、一言で表すならば、作られるに際してどの程度「作りやすいカタチ」「壊れにくいカタチ」「直しやすいカタチ」が意識されたか。 しかし、残念なことに、この「作るときの意識 (あるいは思考, 目線)」はドキュメントにも完成品にも残らず、常に抜け落ちてしまうもののようなのです。

Narita (新しいエントリを書く気力がないので埋め草......じゃないよ!)
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