flint>flint blog>2011年> 5月>16日>チョークのマークひとつ

チョークのマークひとつ

これが問題の個所だ。

私たちが普段行っているソフトウェア・システム開発には、他の製造業と大きく違う点があります。 それは、モノができあがるまでに掛かるコストの殆どが人件費であるということ。 他の製造業において、原材料, 加工に使われる電気, 洗浄のための水など費用が占める割合を考えれば、これはかなり特殊な形態です。 (厳密に考えるならば、そうした費用も最終的には人件費に行き着くわけですが、ここでは措いてください。)

ところで、この「人件費」とはいったい何でしょうか? 辞書的な定義を引くならば、人を雇用することによって発生する費用のことですが、そうした言い換えはあまり実用的とは言えません。 その性質に着目した理解の仕方をするならば、それぞれの被雇用者が有しているエネルギーや知識・技術といった所謂「労働力」を調達するためのコストである、と言えるでしょう。

この労働力のうち、使われたエネルギーあるいは、為された (物理的な) 仕事については、定量的な評価が可能であるため、支払われた賃金に見合っているかどうかということは比較的容易に判断することができます。 その一方で、知識あるいは技術と呼ばれるものについては、それを定量的に計測することは極めて難しく、実際問題としては不可能と言わざるをえないでしょう。 例えば、二人の技術者がいたとき、その知識の差を数値で表すことは可能でしょうか? あるプログラミング言語を習得することによって、どの程度の技術向上が見込めるかについての客観的な評価法は存在するでしょうか? そのような方法論の確立を目指して、これまでも標準化や規格化, 資格・認定制度の導入などが数多く試みられてきましたが、私の見るところでは、そのどれもが技術者の力量あるいは価値を定量的に示す基準として機能しているとは言い難いのが現状です。 また、あるノウハウを手に入れるために必要となる投資 (金額, 時間) はどれほどか、という問題についても、未だ実用に耐える精度を備えた計算方法はありません。

そうした、知識・技術を獲得・評価することの難しさについては、これまでも何度かこの日記で書いてきました。

それ故、私には今や、このテーマについて新しく語るべきことはあまりなかったりします。 その替わりといっては何ですが、個人的に気に入っている、ある古いジョークを紹介したいと思います。

There was an engineer who had an exceptional gift for fixing all things mechanical. After serving his company loyally for over 30 years, he happily retired. Several years later the company contacted him regarding a seemingly impossible problem they were having with one of their multi-million dollar machines. They had tried everything and everyone else to get the machine fixed, but to no avail. In desperation, they called on the retired engineer who had solved so many of their problems in the past.

どんな機械でも直せる、優れたエンジニアがいた。 30年間忠実に会社に勤めた後、彼は無事引退した。 数年後、数億円の機械がどうしても直せないと、会社から知らせを受けた。 いろいろ試したが、彼らにはどうにも直せないのであった。 彼らは自暴自棄になって、過去に多くの問題を解決した、引退したエンジニアに連絡を取った。

The engineer reluctantly took the challenge. He spent a day studying the huge machine. At the end of the day, he marked a small "x" in chalk on a particular component of the machine and proudly stated: "This is where your problem is."

エンジニアは、しぶしぶ腰を上げたのであった。 彼は、巨大な機械を一日かけて調べた。 その日も終わろうかという頃、彼はある部品の上に小さな "x" マークをチョークで書いて、誇らしげに言った。 「これが問題の個所だ。」

The part was replaced and the machine worked perfectly again. The company received a bill for $50,000 from the engineer for his service. They demanded an itemized accounting of his charges.

その部品は交換されて、また機械は完全に動くようになった。 会社は、仕事代として5万ドルを彼から請求された。 会社は、料金の明細を要求した。 そのエンジニアは、ごく短い返答をよこした。

One chalk mark
チョークのマークひとつ
$1
Knowing where to put it
それをどこに書くか知っていること
$49,999

It was paid in full and the engineer retired again in peace.

料金は全額支払われ、エンジニアは再び幸せな引退生活に戻った。

会社についても、また、技術者個人についても言えることですが、知識・技術の価値というのものは、その保有者が己が持つそれをどのようなものとして捉えるかによって決まってくるものではないでしょうか。 このエピソードに出てくる会社のように、あらゆる機械を直すことのできる能力それ自体として捉えるならば、支払われた5万ドル相応、あるいはそれ以上の価値がそこから生み出されるはず。 逆に、もし彼らが「チョークのマーク」一つだけを成果物と看做し、そこに1ドルの価値しか認めないのであれば、彼らがそこから得ることのできるものもまた、それ相応の程度にしかならないだろう、と思うわけです。

成田 (a sober little programmer)
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