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震災の「呪い」としてのEM菌

東日本大震災からおよそ一年半が経過しました。 当時私が住んでいた会津若松市から東へおよそ100kmの地点にある福島第一原発およびその周辺地域はもとより、日本の至る所で、多くの人々が今なお、事故によって飛散・堆積した放射性物質に苦しめられています。

放射性物質による汚染が厄介なのは、その度合いが目に見えないこと、健康への影響が (あるとすれば) 長期を経て現れることに加えて、通常用いられる「消毒」「殺菌」などの手法が悉 (ことごと) く無効であるため。 例え放射性物質を一箇所に集めることが出来たとしても、それを洗おうが焼こうが、以前と変わることなく放射線を出し続けます。 むしろ、水と共に流れ出たり、灰に混じって飛び散ることによって、土壌や建築物のより深い部分まで拡散させてしまうことになりかねません。 従って、除染作業は、科学的に正しい知識を以って慎重かつ計画的に進める必要があるわけですが、現在、福島県やその周辺に、そうした事情を「食い物」にする手合いが跳梁しています。

例えば、「放射性物質を分解する」「内部被曝に効く」との触れ込みで販売される味噌・乳酸菌などの発酵食品や、機能水などがそれ。 放射性同位体は、「通常の元素」と化学的に非常に良く似た性質を持ち、それ故に、生物は各種の同位元素を識別することができません。 (その性質を利用して、同位体マーキングなどが行われる。) また、その放射性崩壊は化学反応ではなく、それよりも遥かに高いエネルギーを必要とする領域で発生する現象であるため、生物がいかなる作用をしたところで、それを阻止・阻害あるいは促進することは論理的に不可能であり、そうした現象が厳密な観測において確認された例も皆無です。 また、「酵素が放射線によって傷付けられたDNAを修復する」といって売り込まれるものについても、虚偽であると断定してよいでしょう。 DNAの修復に酵素が作用することは事実ですが、一口に「酵素」と言ってもその種類は山ほどある上、外部から摂取した酵素がそのまま体内で作用することは (少なくともDNAポリメラーゼについては) ありえません。 もしも、彼らの言う通りに、外部から取り込んだ酵素 (= タンパク質) がそのまま体内に拡散して作用するならば、アレルギーによって生命の危機さえ招くことになります。

そうした全く根拠も効果もない「放射能対策」を、不安と戦いながら自らの生活を支え、復興を進めている人々に売りつけ、貴重な金銭, 労力, 時間, 健康を詐取する連中は、「正真正銘のクソ野郎」どもと呼ぶのに相応しい存在。 「溺れる者は藁をも掴む」とは言いますが、だからと言って、藁を差し出してそれに縋らせる行為を正当化するロジックなど、どこにもありはしません。

追記 [2012/10/26]

本エントリ中で紹介していた動画が見れなくなってしまいました。 その内容を知りたい方は、以下のページを参照してください。

EM除染検証番組をぜひ全国ネットで - 杜の里から
http://blog.goo.ne.jp/osato512/e/af892477816c3e8e82e8b776e302ede9
フジテレビEM菌報道の文字越こし - Togetter
http://togetter.com/li/395287

追記 [2013/10/27]

恐怖のEM

そうした詐欺的な活動の中でも、とりわけ急速にその勢力を伸ばしているのが、「EM菌」として知られる一連の思想および商品です。 その提唱者である比嘉照夫氏の主張 (下線強調は筆者による) に目を通してみても、

EM関係者の間では広く知れ渡っているように、EMは結界をつくる性質があります。 畑の4隅に、EMセラミックスやEM1号の活性液をペットボトルに入れてつり下げておくと、カラスはまったく来なくなり、ヒヨドリ等もほとんど侵入しなくなります。 同時に、その内側にある作物がいつの間にか安定的に生育するようになります。 もちろん、4隅だけでなく、畑を囲むように4~5m間隔につり下げるとさらに効果的です。

畜産農家でEMを使い悪臭が外部に広がらなくなると、かって悪臭が感じられた範囲にEMのバリア (防護帯) が形成され、その中には口蹄疫のウイルスをはじめ鳥インフルエンザなどの有害な微生物の侵入をくい止める場が形成されます。 EMを使っている農家は絶対に大丈夫と発言したのは、そのためです。

これまで明らかとなっている波動は電磁波としてとらえられる横波であり、物質がエネルギー化し消失する一連の流れに沿ったものであり、エントロピーの法則に従うものです。 重力波は、そのエネルギーの流れとはまったく逆の関係を維持する波動と言えるもので、汚染や低レベルのエネルギーを使えるレベルに集約し、そのエネルギーで物質化を促進する力があると言われています。 私はこのような現象をシントロピーと称しています。

すなわち、シントロピーとは「蘇生の法則」とも言えるもので、これまでマジカルとかオカルトと言われる未知の分野を支配する法則に類似し、物質に対する反物質的な存在と言えます。 したがって、一口に波動と言ってもその形態はまったく異なっており、常識的な波動の概念では説明が困難であり、理解することは不可能と言えます。 波動による蘇生的な現象は従来の常識とは異なる別の波動の概念を考える必要があり、私は重力波の存在がその根底にあるものと考えています。

科学にそれほど詳しくない人でも、明らかにそれと分かるほどの、正気を疑われるレベルのおかしな主張をしていることが分かります。 念のために補足しておくと、エントロピー重力波も、確固たる科学的な概念ですが、それらのどこをどう解釈したところで、上記の主張には到底繋がりえないシロモノ。 「結界」に至っては、もはや疑似科学どころか、呪術あるいはオカルトの領域に踏み出しています。

そして今、このEMが除染、すなわち放射性物質の除去に効果があるという触れ込みで、東北地方をはじめ全国に広がりつつあるのです。

拡散の仕組み

勿論、こうした荒唐無稽な主張とそれに基づくビジネス展開に対しては、各所から疑問・批判の声が上がっています。 震災前のニュースですが、当の福島県は以下のような見解を出していました。

県は、河川や学校で水質浄化の環境活動に使われているEM菌 (有用微生物群) などの微生物資材について「高濃度の有機物が含まれる微生物資材を河川や湖沼に投入すれば汚濁源となる」との見解をまとめ7日、郡山市で開いた生活排水対策推進指導員等講習会で発表した。

県が微生物資材の使用について見解をまとめたのは初めて。 県生活環境部は「活動している方々と今後、幅広く議論の場を設ける。(今回の見解が) 議論のきっかけになればいい」としている。 EM菌使用の環境活動は県内の学校や団体で幅広く行われており、波紋を広げそう。

しかし、上の記事中にもあるように、EMは福島県下でも市町村レベルでの自治体の活動や、全国の自治体, NPOなどによって、浄化活動どころか、環境教育の一環として、その効果が検証されることもないままに取り入れられているのが現状。

7月16日 (海の日)、海や水への感謝をこめた環境浄化イベント「全国一斉EM団子・EM活性液投入~EMで海・河川の浄化~」(U-net 主催) の一環で当会も参加したものです。

EM団子・液は、株式会社EM研究機構が提供しているようです。 EM研究機構に関しては、「EM菌について」のページでご確認ください。 全国一斉と云っても主催者の掲げるスローガンであり、実際は参加している地域・団体は全国に散在しているのが実態です。 当日は里村市議会議員 (EMエコーインストラクター) の挨拶の後、相野橋の上流側へEM活性液 (500ℓ)、EM団子 (550個) の投入を行いました。 当会としても、有用微生物群 (ゆうようびせいぶつぐん、EM、Effective Microorganisms) の効用に関する賛否の声に耳を傾けつつ、少しでも川をきれいにしたいとの思いで会員に参加を呼びかけて来たところです。

今日 (8/5) から自宅の側を流れている藤川 (梅田川の支流) の上流部に30LのEMとぎ汁発酵液を流して来ました。 これから流す発酵液が、藤川・梅田川・七北田川に合流して太平洋に流れる仕組みです。

七北田川河口は震災で壊滅的に破壊された南蒲生汚水処理施設があります。 そこは今でも塩素の大量投入箇所ですから、海も相当に汚れていると聞いております。 何とかEM菌よ届けという気持ちで活動開始です。

今後は1週間に2回は継続して実施して行きますので、皆さん、どうか応援をお願いします。

2012年3月22日、円筒分水スプリングフェスタの前日、「久地円筒分水からながれる水をもう一段階浄化できないか? そしてこの下流の水辺をきれいにできないか? せめて子どもが水遊びできる水質にまで???」の願いを込めて六ケ村堀の溢流口に1500個のEM菌だんごを沈下設置しました。 あの日から6ヶ月、EM菌はどんな働きをしてきたのか、とても気になるところです。

大円寺では児童たちがつくった水質浄化に効果があるとされるEM菌団子約300個を福江川に投入し、清流回復を祈った。

使ったのはヘドロと使用済みカバーガラスを一定割合で混ぜ合わせて作った物だ。 そこにEM菌 (有用微生物群) を付着させた。 水質浄化剤としても知られる木炭と比較したが、透明度など同等以上の効果を確認した。

こうして引用するために過去に目にした事例を集めて読み直していると、暗澹たる気分になってきます。 疑問を抱くことも、効果を検証することもなしにEMを導入してあちこちの河川・湖沼に散布する人々。 それを無批判に「よいこと」として取り上げるメディア。 そして、こうした活動と報道が、EMによる環境浄化の「実績」として喧伝され、さらに推進が促されるという悪循環。

本来の主張であった水質改善に関する機能・効果ですら、このようにまともな検証を経ることなく済し崩し的に押し通されてきたわけですから、新たに主張される「除染効果」の信頼性は推して知るべしでしょう。

理性の放棄

上記の動画には、EMの除染効果を信じる人々が登場します。

  • やはりワラをもつかみたいという感じでしょうね。 国は山林の除染はしないとハッキリ言い切りましたよね。 じゃあ私たちはどうしたらいいのって。
  • 去年から本当に絶望しちゃって…。 絶望してきたんですけど、(EM菌の存在で) 本当に救われた思いがして。

彼らの気持ちは分からないでもありません。 しかし、やはりこれでは駄目なのです。 不安から効果のないものへ飛びつくことは、自らの安心 (「安全」ではないことに注意) と引き換えに、後に続く除染活動を妨げ、次の世代に禍根を残すことになるでしょう。

例えば、「あるタイプのEMによる除染活動によって、地表に留まっていた放射性物質が地中へ鋤き込まれてしまい、取り除くためにより多くの土を運び出さなければならなくなっている。」という指摘があります。 放射性物質が土の下に隠れれば、当然のことながら、表面的に測定される線量は下がるわけですが、それを以って「除染効果あり」と判定するのは有害にして無益。 本当に効果のある除染を行うにためには、「そうあって欲しい」事柄にも科学的・客観的な検証をかける懐疑の姿勢が必要であるはず。

もし、ある業績不振に陥っている企業の経営者が、的確な判断を下す自信がないからと、多額の「コンサル料」を投じて雇った占い師に経営方針を仰いだとすれば、無責任と批判されることは避けられないでしょう。 それと同様、自身や家族の生活や健康を守るための判断を放棄し、甘言を弄して近付いてくる輩にこれを委ねてしまうのは、無責任以外のなにものでもありません。 「政府が不甲斐ない」「自治体が助けてくれない」といった事柄とは関係なく、むしろ、そういったお上がアテにならない状況だからこそ、情報を多角的に吟味し、理性的な判断力を維持することが重要になってくるのではないでしょうか。 自身と他者への欺瞞に基づいた善意・熱意は、無責任の謗りを免れません。

効果・根拠のない商品を売り付けられた人たちは「被害者」ですが、それを他人に勧めるなどして拡散・普及の手助けをすれば、その時点で「加害者」としての性質を帯びることになるということも、忘れてはならないポイントでしょう。

追記 [2013/05/11]

たとえ能動的に宣伝活動・拡散行為をせずとも、広告のネタとして使われてしまったというケースが報じられました。 「無料のサンプルだから」とか「うちの自治体でやってみるだけだから」という気軽な判断は、悪質な業者にとっては垣根を崩す格好の突破口となるのです。

太古の微生物、驚異のパウダー、パワーのある水――。 東京電力福島第一原子力発電所事故により放射能に汚染された福島県の高線量地域で、効果の疑わしい除染技術の試用を求める依頼が相次いでいる。 環境省の実証事業で不採用となった業者が直接、地元自治体に働きかけており、「被災地で実験中」などと宣伝するケースもある。 実害が確認されていないことから、消費者庁も対策を取れないでいる。

「一目で効果がないとわかる怪しい除染技術が多い。被災地を食い物にするのはやめてほしい」。 福島県大熊町の石田仁・環境対策課長は憤る。原発事故後、業者からの依頼が50件以上あったという。 町はこのうち10件程度について情報収集し、先月は微生物を使った技術など2件の除染を実際に試してみたが、効果は確認できなかった。

同町には苦い経験がある。 2011年秋、「農地の放射線量を低減できる」と業者が無償で持ち込んだパウダーを試したところ、確かに放射線量は下がったものの、その効果はただの土をまいた場合と同等だった。 業者はその様子をインターネットの動画サイトで紹介し、「大熊町で実験中」と宣伝した。 石田課長は「私たちは被害者だと思っていたが、動画を見て、事情を知らない個人がパウダーを購入したら加害者になってしまう」と懸念する。

「呪い」は解けるか

その一方で、EMを巡るこうした状況を憂慮し、根本的な問題の解決を試みる取り組みも、ささやかではあるものの、確実に動き始めています。 毎日新聞の斗ヶ沢秀俊記者は、全社に向けて「報道することによって、検証されていないEM菌の効果の宣伝に加担するのはやめよう」という旨の提言を行ったことを報告しています。

ただいま、毎日新聞東京本社編集編成局に、「EM菌報道に関する提言」を提出しました。 以前、「1カ月以内をめどに、EM菌宣伝報道をしないよう、社内に問題提起する」とツイッターで宣言しましたが、それを実行しました。


「EM菌報道に関する提言」ではまず、EM菌についての記事が主に地方版で年間10件ほど掲載されており、その大半は「河川浄化のためにEM菌を投入」といった記事であり、批判的な記事は少ない (過去5年間に掲載された50件中わずか2件) という現状を記しました。


「EM菌河川投入」の活動は、「子どもや市民団体」が「微生物の働き」に期待して「環境浄化を目指す」ということで、記事になりやすい要素を併せ持っています。 だから、地方版で無批判に美談として取り上げられるケースが多いのです。


私の「提言」では、「なぜ報道すべきではないのか」について、2点をあげました。 第一に、EM菌が河川やプールの浄化に効果があるという科学的証明がないこと、比嘉照夫氏が「科学的検証はまったく必要ない」と第三者による科学的検証を拒否していることです。


「なぜ報道すべきではないのか」の第二の理由は、EM菌が企業の商品にほかならないことです。 通常、新聞記事では不必要に特定企業の宣伝をしたり、商品宣伝をしないようにしています (企業名、商品名が不可欠である場合は名称を入れる)。 ところが、EM菌は商品だという認識が不足している。


EM菌は商品であることをきちんと認識すれば、効果が科学的に検証されていない商品のことを、記者が積極的に書くことはないでしょう。 「効果が証明されていない」「商品である」の2点について、編集編成局内 (支局を含む) で文書による注意喚起をするよう、提言しました。

また、朝日新聞の長野剛記者は、青森県での事例をあげて、下記のように論じています。

「EM菌」という微生物を川の水質浄化に用いる環境教育が、青森県内の学校に広がっている。 普及団体は独自理論に基づく効果を主張するが、科学的には効果を疑問視する報告が多い。 県は、効果を十分検証しないまま、学校に無償提供して利用を後押ししている。 あいまいな効果を「事実」と教える教育に、批判の声も上がっている。

EM菌の効果について、開発者の比嘉照夫・琉球大名誉教授は「重力波と想定される波動によるもの」と主張する。 製造元で普及を進めるEM研究機構 (沖縄県) は「EMに含まれる微生物がリーダー的な存在となり、現場の微生物を連係させる」と環境浄化メカニズムを説明する。 また、機構は「放射能対策に効果がある」とも言う。

だが、疑似科学問題に詳しい科学者らは、EM菌の効果や理論を批判する。 菊池誠・大阪大教授は「原理は物理的にナンセンスの一言。 何でも都合の良い方向に働くとの万能性をうたっていること自体が、非科学的だ」と指摘する。

長島雅裕・長崎大教育学部准教授は「疑わしい事柄を真実と教えれば将来、生徒が疑うべきものを疑えなくなる恐れがある。本来は多様な対策が必要な環境問題を、EM菌だけで対処可能と思わせることも、思考停止につながりかねない」と話した。

これまで、推進側の発表を一方的に報道するだけだったメディアが、その姿勢を転換させようとしています。 次は、私たち情報の受け手が、自らの態度を改めていくべきではないでしょうか。 ときには、不都合・不愉快な真実に目を向け、それらと対峙していくことを余儀なくされるでしょう。 けれども、その苦しさから逃れることだけを考えていては、また別の詐欺の餌食にされるだけのこと。

震災によって私たちが被った「呪い」はEMだけではありませんが、これらをひとつひとつ解いていく他に、対処する術はありません。 まずは、鎖の輪の最初の一つを断ち切り、外すことから始めていきましょう。

Narita
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Comments

Untitled ( Author: Unknown <@ystcJMCjVd> )

人は信じたい情報しか信じないっていうのが、今回の震災で分かりました。
それが科学的であろうがおまじないであろうが
事実と信じる根拠はまた別なところにあるのですね。

Re: Untitled ( Author: なりた )

Untitled さん、コメントありがとうございます。
(返信の都合上、何でも良いのでお名前を入力して頂けると助かります。)

> 人は信じたい情報しか信じないっていうのが、今回の震災で分かりました。

「信じたいものを信じる」というのは、すべての人間が共通して持つ、基本的・原理的な性向であろうと思います。どんな人でも、日々の暮らしの中でそのような選択をしているわけで、一概に否定できるものではありません。(もっと言うならば、それは「希望」と呼ばれるものの源でもあるわけで。) 問題は、それに従って良い場面と、そうでない場面との切り分けができていないことでしょう。インチキに縋ることで、本人のみならず周囲の人たちまでが、「より悪い結果」に晒されるとなれば、「個人の満足感」を優先する道理は見出しがたいのではないかと思います。

> 事実と信じる根拠はまた別なところにあるのですね。

これもまたその通りで、「事実」あるいは「真実」というのは、一人一人にとって異なるものになりえます。自分自身の価値観・信仰の中でなら、エネルギー保存則が破られることも、光速が突破されることもあり得るし、またそれで一向に構いません。ただし、それを他者や社会、あるいは環境とリンクさせなければならなくなったとき、障害となる歪みを正しく認識し、自分が持つ「事実」「真実」を適切に修正する必要がある、という話です。

ただ、窮状に陥ってしまってから、そのような冷静・客観的な判断を下したり、これまで固持してきた価値観を己に問い直すような余裕を持つことは難しいでしょう。そうした、「余裕を失ってしまった」人たちに、どう対応していくかということは、震災の混乱が収まり、生活・社会の基盤を作り直していくこれからのフェイズでより重要になってくる課題だと思います。
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