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心構えの問題

そっくりハウス

以前、NHK「みんなのうた」で放送されていた谷山浩子の「そっくりハウス」が聞きたくて、このCDを購入したのですが、その中に「おいしくたべよう」という曲が収録されています。 いかにも子供向けといった雰囲気の歌なので、買ってしばらくはそのトラックは聞き流すようにしていたのですが、ある日ふと自分の中で何かが引っかかっていることに気がつきました。

良いこと、おめでたいことがあったとき、あるいはその反対に、落ち込んだときなど、私たちは何気なく「今日は美味しいものでも食べよう」なんてフレーズを口にします。 これはもう無意識的なものなのでしょうが、これは「おいしさ」の在り処を、食べ物そのもの、あるいはそれを提供する側に求める態度に他なりません。 翻って、この「おいしくたべよう」に込められたメッセージを考えてみると、「おいしさ」が、食べる側の所作なり気の持ち方なりの中に求められていることがわかります。 「おいしいものをたべる」と「おいしくたべる」- 字面はよく似ていますが、なんと大きな隔たりのある概念でしょうか。

これは「食事」だけでなく、「仕事」についても言えることではないか、と私は考えています。

独立して仕事を始めてからのこの三ヶ月間で、私自身の「仕事」の内容は大きく変わりました。 フリーランスとして活動する以上、相手に対して「コレができます」「アレもできます」というアピールをすることはとても大事なのですが、今の自分が「できること」だけで遂行できる仕事というのはまずお目に掛かりません。 従って、仕事を進捗させるのと並行して、必要な知識なり技術なりを学び、ときには人から教わったりすることがどうしても必要になります。 そしてまた、仕事の場においては、モノゴトが計画通りに運ばないのはトラブルでもなんでもなく、むしろ当たり前のこと。 それでもこれが成し遂げられるのは、ひとえに、それに携わる人々のバランス感覚と、そのバランスを保つべく為される地道な努力のおかげだといえるでしょう。 刻々と変化する状況を把握し、「在るべき」場所とのズレを捉え、これを修正する手立て講じること……その継続を一時でも怠れば、私たちの足取りはいとも容易くレールを踏み外してしまうものなのです。

ところで、そのバランスを取るには、自分が完全な状態にないことを常に自覚する必要があります。 足りていない知識は何か、予定からどれくらい遅れているか、計画に甘さがなかったか。 そういったことをひとつひとつ確認し、考えていかなければならないわけです。 もし、そうした「己の不完全さ」に正面から向き合うことから逃げるならば、必然的に、あらゆる問題について、その原因を外部に求めることになります。 クライアントが無茶を言うから、納期が短すぎるから、ツールの出来が悪いから……。 そんな思考に陥った時点で、その仕事は殆ど失敗していると言ってよいでしょう。

どんな仕事もそうですが、100%成功を保証されたものなどありません。 上手くいく確証があるからやるのではなく、自分自身が持てる能力をフルに使い、また必要に応じてこれに磨きをかけることで、「上手くいく」可能性を高めるのです。 小さなミスも犯さないのではなく、ミスが致命傷になりにくいように手立てを講じるのです。 そうした意識・感覚を持たない人は、仕事に限らず、現実あるいは人生というものに対処していくのは難しいのではないでしょうか。

街場のメディア論

結婚は入れ歯と同じである、という話があります。 これは歯科医の人に聞いた話ですけれど、世の中には「入れ歯が合う人」と「合わない」人がいる。 合う人は作った入れ歯が一発で合う。 合わない人はいくら作り直しても合わない。 別に口蓋の形状に違いがあるからではないんです。 マインドセットの問題なんです。

自分のもともとの歯があったときの感覚が「自然」で、それと違うのは全部「不自然」だから厭だと思っている人と、歯が抜けちゃった以上、歯があったときのことは忘れて、とりあえずご飯を食べられれば、多少の違和感は許容範囲内、という人の違いです。 自分の口に合うように入れ歯を作り変えようとする人間はたぶん永遠に「ジャストフィットする入れ歯」に会うことができないで、歯科医を転々とする。 それに対して、「与えられた入れ歯」をとりあえずの与件として受け入れ、与えられた条件のもとで最高のパフォーマンスを発揮するように自分の口腔中の筋肉や関節の使い方を工夫する人は、そこそこの入れ歯を入れてもらったら、「ああ、これでいいです。あとは自分でなんとかしますから」ということになる。 そして、ほんとうにそれでなんとかなっちゃうんです。

このマインドセットは結婚でも、就職でも、どんな場合でも同じだと僕は思います。 最高のパートナーを求めて終わりなき「愛の狩人」になる人と、天職を求めて「自分探しの旅人」になる人と、装着感ゼロの理想の入れ歯を求めて歯科医をさまよう人は、実は同類なんです。 僕がこのキャリア教育科目でみなさんにぜひお伝えしたいのは、このことです。

もう一度言いますね。 与えられた条件のもとで最高のパフォーマンスを発揮するように、自分自身の潜在能力を選択的に開花させること。 それがキャリア教育のめざす目標だと僕は考えています。 この「選択的」というところが味噌なんです。 「あなたの中に眠っているこれこれの能力を掘り起こして、開発してください」というふうに仕事の方がリクエストしてくるんです。 自分のほうから「私にはこれこれができます」とアピールするんじゃない。 今しなければならない仕事に合わせて、自分の能力を選択的に開発するんです。

希望や理想を持つことは大切ですが、そこに近付いていこうとするならば、それに対する拘りは一度捨て措いて、現状において自分は何をすべきかを考えなければなりません。

「良い仕事」をするのではなく、「良く」仕事をする。 「楽しい仕事」をするのではなく、「楽しく」仕事をする。 心構えの問題に過ぎませんが、それが一番重要なんですね。 たぶん。

成田 (かなり楽天家)
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