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半年が経って

犬は喜び...。

あけましておめでとうございます。 昨年は皆様に大変お世話になりました。

私は昨年もいつもどおり、宮城県仙台市の実家で年を越しました。 実家に居ると、普段は殆ど観ることのないテレビの前で過ごす時間が長くなるのですが、これに関してちょっと気になったことがあります。 昨年は東日本大震災があったため、どのテレビ局・番組も揃ってこの話題を取り上げていました。 災害からの復興を目指し、それに向けて立ち上がる勇気を持ちましょう。 「がんばろう日本。」 「東北の皆さん、がんばってください。」 それはそれで結構なのですが、では私たちは具体的に、何を「がんばってる」のでしょうか。

ネットを眺めていても、言い方は悪いのですが、震災が「国民が団結・結束するためのイベント」として捉えられているのではないかと思えてきます。 映画や小説などで、展開を盛り上げるために物語に織り込まれる困難と挫折と悲劇。 悲壮感に酔い、絆の美しさと有り難さを再確認するための儀式。 地震の発生から九ヶ月が経過した今もなお (それとも「今だからこそ」でしょうか)、社会全体が「災害ハイ」とでも呼ぶのが相応しいような、異常な興奮と高揚感の中にあるように感じられてなりません。

……などと穿った見方をしてしまいがちになる一方で、身の周りに視線を転じてみれば、実はそこかしこに「がんばっている」人たちがいるものなんですね。 募金やボランティア活動などの目立つことはしていなくても、勤務の時間帯を変える、機材を貸し出す、仕入れの内容を見直すなど、何らかの形で、自分が携わる範囲で、できる限りのことを。 自分たちの生活を立て直すため、皆、必死で、黙々と「がんばって」います。 その姿を目の当たりにして、私はなんというか、「生きていくってのは結局、こういうことなんだろうなぁ」なんてことを考えたりしていました。

かく言う私自身、己が望んだことではありますが、安定した会社員という身分を捨て、フリーランス (実質はフリーター?) になったわけで、当面の、そして将来の生活をどうするかということを常に考え、決断し、行動を起こしていかなければならない状況にあります。 正直、とても他人様に「がんばりましょう」だの「がんばれ」などと言える状況ではありません。 何よりもまず、自分が頑張ることで精一杯です。 まだ空も星も見えませんよ。 よよよ。

そんなわけで、この2012年も引き続き頑張ってまいる所存。 本年も、よろしくお願い致します。

成田 (The show must go on!)
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