自己表現?

以前勤めていた会社の求人ページの「3DCGアーティスト」と「Webデザイナー」の「求められる能力」欄には、

自己表現ができるアーティスト (デザイナー)

という、ちょっと引っ掛かるフレーズがありました。 (ちなみに、「システムエンジニア/プログラマ」と「ネットワークエンジニア/システム管理者」の項には見当たりません。) 何故このフレーズが気になるのかというと、一般に「自己表現」という行為は「仕事」と相反するものだからです。

例えば、私 (システムエンジニア/プログラマ) の仕事というのは、顧客が使うシステムを作ることです。 そのシステムは、基本的に「顧客のしたいこと」を、「顧客がしたいようにする」ためのものであり、私の個性を発揮するなどということは、全く望まれていません。 細かい部分など私の独断で設計する箇所もありますが、そうした部分も「保守しやすいように」「変更に対応できるように」作るのであって、個性を出しているかと言われれば、答えはノー。 むしろ、個性というかクセがない、誰もが一見してその仕組みを理解できるのが「良いプログラム」の条件です。 プログラマが「自己」を発揮すればするほど、プログラムは「悪く」なっていくと考えて差し支えないでしょう。 それ故、プログラマは自分のコードから如何に己の匂い・気配を消すかということに腐心するのです。

そのような事情があるために、「システムエンジニア/プログラマ」の項には「自己表現」の文字が入っていないのですが、「3DCGアーティスト」や「Webデザイナ」にも同じことが言えるのではないでしょうか。 漫画家や画家, 小説家のように、自分の好きなように作品を作り、その価値を世に問うタイプの職種であれば、自己表現は欠くことのできない要素ですが、システム開発の現場で「3DCGアーティスト」「Web デザイナ」として働くのであれば、「顧客が表現したいもの」であるはず。 そこに本来求められていない「作り手の自己表現」を捻じ込むことは、無駄な工期延長や品質低下を招く要因となります。 その結果、「長い工期」や「低い品質」が作り手の「個性」として周囲から認識されるようになる (つまり「使えない」という評価が定着する) という惨憺たる結果に繋がった事例も少なからず目にしてきました。

目的なり機能なりを達成するために技術を磨き、より広範な対象を捉える能力を獲得していく段階で副次的に、しかし避けがたく滲み出るものこそが、作り手本人にとっても、また顧客にとっても真に価値のある個性たり得るのではないだろうか、と個人的には考えています。

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