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自己表現?

以前勤めていた会社の求人ページの「3DCGアーティスト」と「Webデザイナー」の「求められる能力」欄には、

自己表現ができるアーティスト (デザイナー)

という、ちょっと引っ掛かるフレーズがありました。 (ちなみに、「システムエンジニア/プログラマ」と「ネットワークエンジニア/システム管理者」の項には見当たりません。) 何故このフレーズが気になるのかというと、一般に「自己表現」という行為は「仕事」と相反するものだからです。

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成田
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子供とインターネット

小中携帯、原則禁止を…教育再生懇が提言素案 : ニュース : ネット&デジタル : YOMIURI ONLINE (読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/net/news/20081216nt07.htm

一般人 (コンピュータ・ネットワーク技術者でない人々) によるインターネット利用が活発になったのは、1990年代の中頃からのこと。 それから10数年が経った現在、「インターネット」の在り方は、それが出現した当時とは全く異なるものになっています。 ほぼ全ての人がインターネットに接続可能な端末を所有し、ウェブサイト上で買い物をし、電子メールをやりとりをしている現代。 最近では、小中学生もケータイを通じて日常的にインターネットにアクセスしています。 こうした世代の子供たちにとって、「インターネット」はもはや電気や水道・ガスと同じレベルの、「あって当たり前」の生活インフラであり、その中へ踏み込んでいくことに対する不安や躊躇といったものは殆どみられません。

その一方で、「インターネット」という場が、歴史的に見ても、現状を見ても、決して子供 (ある程度の情報リテラシーを身に付けていない人) が安全に活動できるものではない、ということもまた事実です。 現実 (オフライン) 社会の法則やルールが殆ど通用しない「インターネット」社会は、有効な法整備も殆どなされていない現状においては、「無法地帯」と言っても差し支えありません。 この、ある意味で夜の盛り場よりも危険な無法地帯に、子供たちがほぼ無制限に踏み込むことができる今の状況は「何かが狂っている」としか言いようがありません。 そして、こうした状況をこれ以上放置するならば、私たちの社会は「判断・責任能力のない子供が犯罪に巻き込まれる危険を容認している」と見なされても仕方がないでしょう。

とても複雑で一筋縄ではいかない問題ではありますが、これにケリを付けることは、私たち「大人」の義務であろうと考えています。

成田
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価値のサイクル

社会人と呼ばれる者は皆、仕事を持ち、お金を稼ぐことで、自らの生活支えています。 では、その「お金」はどこからやってくるのでしょう?

お金は会社の金庫から湧いて出くるわけではありませんし、その人の「苦労」や「頑張り」に対して与えられるものでもありません。 顧客に対し何らかの「価値」を提供することではじめて、その対価として支払われるのです。 そして、ここで得られたお金は、また別の価値と交換され、それを生み出したものの所へと移動していきます。 こうして、形態を異にするさまざまな種類の価値が、お金によって媒介されて人々の間を循環するわけです。 この価値交換のサイクルこそが、我々の社会システムを成り立たせている「経済」と呼ばれるものの本質に他なりません。

ところが、私のように「従業員」として会社に雇われている人間は、自分がこのサイクルを構成する一員であることを忘れてしまいがち。 自分が、社会に対してどのような価値を提供できるかということを考えることなく無為に働き、それに対する報酬を求めるようになってはいないでしょうか。 毎日会社へ来て、与えられる仕事をこなしていれば給料が貰える – そんな環境に慣れ過ぎぬよう、常に己の価値を意識し、これを高める努力を怠らぬようにしたいものです。

成田 (もう新人という立場ではない)
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見る力

現実に存在する「もの」は、莫大な量 (実質的に無限) の情報を含んでいます。 しかし、こうした情報をすべて記録・保存するのはとても現実的とは言えません。 そこで、ソフトウェア開発者は対象を抽象化・簡略化し、これをコンピュータ上で扱うことができるようにします。 このプロセスを「モデル化」と呼びます。

モデル化において重要なのは、どの情報が必要で、どの情報が不要かという見極め。 必要な情報が抜け落ちればシステムは用を為さず、不必要な情報が入り込めばプログラムの複雑さが増して保守が困難になります。 つまり、モデル化というのは、対象から必要な情報だけを抜き出す作業。 言い換えれば、モノゴトの「本質」を見抜くことに他なりません。

「本質とは何か」という問いに対する答は、「何を目的とするか」によって異なります。 従って、モデル化を正しく行うためには、まずその目的をきちんと理解・把握する必要があります。

一般に、優れた視力は、どんな物体でも見ることが出来る。 何かを見ることで養われた能力は、他のものに対しても、今までより見やすくする。 本質的に正しいシステムというものは、適用が広い。

ソフト開発に限らず、一般的な状況においても、この「本質を見抜く」能力は、正しい判断を下すための指針となります。 本質を見極められない、即ち、目的を見失っている状態では、何をやっても上手くいかないもの。 どう行動すべきか迷ったときは、じっと目を凝らしてみるのも良いかもしれません。

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成田
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不合理

Key & Knot

プログラマから見ると、世の中は「不合理」な制度に満ちています。 例えば、暦 (こよみ) に関する決まり事について言えば...

元号
元号ごとの境界の位置が非常に不規則であるため、差計算がしづらい。 (昭和56年は何年前でしょう?) さらに、現在の元号の持続期間が定かでなく、次の元号の名称も未定であるため、元号が変わるたびにシステムに変更を加える必要が生じます。
国民の祝日
体育の日 (10月の第 2月曜日) のような、年によって変動する祝日の日付を計算するのが面倒。 なぜこのような複雑なルールを導入したのか未だに理解できません。
サマータイム
日本では (現在のところ) 導入されていませんが、これがもし導入されるとなると、各種コンピュータシステムでの (特に切り替え時における) 混乱が発生することは想像に難くありません。 新聞やニュースなどで度々報じられる「サマータイム議論」に戦々恐々としているプログラマ・システムエンジニアも多いのではないでしょうか。

この他にも、「世紀は 0から始めれば楽だったのに。」とか、「60進法なのに、その下は10進法で表記するのは何故か?」 など、合理性・一貫性を欠く制度への疑問・不満は尽きません。

成田 (本気で憤っているわけではありません。)
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東山~布引高原

週末は、布引高原の風力発電所を見てきました。 通常であれば、山を迂回して湖南町を通るところですが、今回は敢えて山林地帯 (東山ダムの奥の方) を突っ切るコースを選択。

山の上は平地よりもかなり気温が低く、市街地の暑さがまるで嘘のよう。 森を満たす鮮やかな緑と濃い草木の匂いは、そこに踏み入る者を圧倒せずにはおきません。

Path in Green
成田 (「山をまっぷたつにしたら、断面はどんなだろう?」といつも考えてしまう。)
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Windows Vista

Windows Vista の発売から五ヶ月が経過しました。 その性能については賛否両論あるようですが、私の個人的な意見としては、「ダメOS」でファイナルアンサー。

欠点をひとつひとつ挙げていくときりがないのですが、その中でも致命的なのが、インターフェイスの大幅な変更です。 エクスプローラのレイアウト改変に始まり、新しいボタンコントロールの導入、メニュー構造の変更等々、Vista はそれまでの Windows ユーザが習得してきたインターフェイスをばっさりと切り捨ててしまいました。

それでも、こうした新しい要素を取り入れることで、作業効率が上がる、あるいは、習得が容易になるといったメリットがあれば良いのですが、そのような効果は殆ど見られません。 「目新しさ」を出すことで、買い替えを促すといった狙いがあったようですが、ユーザの反応を見れば明らかなように、その「目新しさ」が仇になっています。 (Office 2007 が導入したリボンも同様の問題を抱えていますよね……。)

インターフェイスの変更は、例えそれが改良であっても、ユーザには大きな負担となります。 そのため、そうしたデメリットを上回るメリットが見込めない限りは、インターフェイスの変更を見送る、あるいは、旧スタイルでの操作も可能にする、といった措置が妥当だと思われるのですが、そうした発想は微塵も見受けられません。

そんな「ダメOS」の失点を挽回するためか、Microsoft からは早くも次期バージョンである Windows 7 の情報が出されています。 しかし、発表の内容を見る限りでは、ユーザが望んでいるのとは掛け離れた方向へ進化している模様。 Windows XP が第一線を退くのはまだまだ先のことのようです。

成田 (ゲームソフト作ってんじゃないんだよ!!)
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Words describe you again.

アルバイトの学生などと接していて、「惜しいな」と思うのが、表現・説明能力の低さ。 せっかく素晴らしい技術や感性を持っているのに、それを相手がきちんと理解・把握できる「言葉」に変換できないために、損をしている部分が非常に多いのです。

確かに、己の知識・技術を中身のない言葉で大仰に飾り立て、過剰に表現する輩は信用ならないものですが、だからといってその説明を放棄してよい、というわけではありません。 誇張せず、矮小化せず、自分の持っているものをありのままに伝える努力をすれば良いだけの話です。

相手の思考を楽観的に期待している状況…、これを、甘えている、というんだ。 いいかい、気持ちなんて伝わらない。 伝えたいものは、言葉で言いなさい。 それがどんなに難しくてもそれ以外に方法はない

どんなに優れた才能も、内に秘めているだけではまったく無意味。 知識も技術も、それを持っていることではなく、「理解され」「使われ」ることに価値があるのですから。

成田
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ぼくはきのうししゃもをたべました

記事をコンスタントに上げようと思っても、1年365日24時間おもしろおかしいことが起きているわけではないので、今日のような「日記のネタが見つからない日」というのも (たまには) あります。 そんなときに役に立つのが、「その日食べたものについて書く」という無難にして (それなりに) 恰好の付く種類のエントリ。 しかしながら、「僕は昨日ししゃもを食べました」のような内容ではいかにも芸がありません。

というわけで、昨日の私の夕食の中の一品を、作り方を添えて紹介しようと思います。

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成田
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リーダシップ

「リーダになりたくない」という人が増えているとか。 言われてみれば、周囲の人々を観察する限りにおいても、そうした傾向は確かに見受けられます。

しかしながら、組織の規模がある程度以上になると「1人のリーダがいて、残りはすべてその人に従う」とった形態では立ち往かなくなります。 そのため、企業・軍隊などの組織は、その構成員を機能ごとに「部」「課」「係」 (あるいは「団」「隊」「班」) といった単位に分割し、それぞれにリーダを割り当てることで全体の統治・運営を行っています。

「リーダ」というのは非常に特殊かつ責任の重い役割に思えるかもしれませんが、(よほど大きな組織でない限り) より高い視点から見れば、「人」という「機能」を束ねるという「機能」のひとつでしかありません。 つまり、「リーダ」というのは、その他の役割と (権限はともかく機能的には) 同列であり、それほど特殊なものではないと言えます。 このような考え方に基づけば、「リーダ」に対して過大な期待や責任, 権限を求めることはなくなるため、誰もが自分の能力に応じてこの役割を引き受けることが可能になるのではないでしょうか。

リーダを立てられないというのは組織としては致命的であり、その原因は「責任を他人に押し付けて、自分は楽をしたい」という個々の (そして全ての) 構成員の幼稚さ・未熟さにあります。 そんな状況から抜け出すための最も手っ取り早い手段は、まず自分が立ち上がること。 「あなたがやらねば誰がやる?」ってヤツですね。

成田 (2文字以上ならば、語尾の "er" は「ー」と表記しない派)
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